ゲーム開始から数分と経たない内に、の心臓が嫌な音を立てた。女神像の方から歩いてくるハンターの姿を確認した彼女は慌てて辺りを見渡す。
はまだ『ゲーム』には数えるほどしか参加していない。暗号機を探して解読をすることですら未だ精一杯な彼女は、チェイスが大の苦手だった。毎回すぐ捕まってしまうのだ。
また仲間の足を引っ張ってしまう、と焦る彼女の目に、人ひとりが丁度よく隠れられそうなロッカーが目に入った。ここに隠れてやり過ごそう、と、なるべく音を立てないように扉を開く。は素早くそこに入り込み、ハンターが通り過ぎるのを待った。
暗闇の中、息を殺して扉の隙間から外を窺う。どくどくと響く心臓の音は依然としてハンターが近くにいるということを示しているはずだが、確認できる範囲にはいないようだ。
僅かに差し込む光の中で端末を操作し、『ハンターが近くにいる』と仲間に情報を共有する。『早く逃げて!』『頑張れ! 持ちこたえろ!』というような言葉を映し出す端末を胸に抱き込み、は早く心音が鎮まるように祈る。
その時、彼女の耳に歌声のようなものが届いた。聞いたことのない声はおそらくハンターのものだろうとが身を固くする。
「はて、この辺りにサバイバーがいたと思ったんですがねぇ」
土を踏みしめる音と共に聞こえてきた声に、思わずの息が止まる。ハンターは予想以上に近くにいたようで、ロッカーの前を通る姿が彼女の視界に入った。
かなり背が高いようで顔までは見えないが、その左手のぎらりと光を反射した鉤爪が不安を煽り、は心臓の音を押し殺すように服を握りしめた。
「耳鳴りはするのに監視者にも反応はなし……いやあ、困りましたね。暗号機の揺れもよく見えないし、これでは四逃げされてしまう」
執拗に困った困ったと繰り返すその声は、しかしどこか別の場所へ向かうでもなくロッカーの前をうろうろと行き来している。そうしている間にも暗号機はひとつふたつと解読が終了し、現在は残り二台だ。
さすがのも、この辺りでようやく何かがおかしいと気が付いた。
よくよく考えれば、少し前から頭上で烏の鳴き声が聞こえる。それもそのはずで、はゲームが始まってからというもの何もしていない。ロッカーに隠れて、たまに味方へ一言状況を送っているだけだ。
――もしかして、見逃してもらっているのではないだろうか。
そんな考えがの頭をよぎる。自分がロッカーに隠れたのは最初からバレていて、そのあまりのお粗末さにハンターも同情した、だとか。ハンターの中にはそういった情を持ち合わせている者もいると聞く。
それならば出て行っても平気だろうか、と、ごくりと喉を上下させたが扉に手をかける。
その瞬間、開きかけた扉が何かに押し戻され、僅かばかり差し込んでいたはずの光も届かなくなる。ひゅ、と彼女が息を飲んだ。
「ああ、通電してしまいましたか。裏向きカードも無い、一度もサバイバーを座らせていない。これはもう負けですね」
扉一枚を隔てたすぐそこから、低く甘い声が響いている。はどうしてか自分の呼吸が段々と浅くなっているのを感じていた。
ちかちかと点滅する端末は、他のメンバーが全員すぐに脱出できる状態であることを知らせている。それにどう返そうかと画面の上で震える指を彷徨わせる彼女が、ふと、視線を感じて全身を強張らせた。顔を上げてはいけない。そう思いながらも、の意に反してゆっくりと視線が上を向いていく。
「折角のゲームだというのに、このままでは帰れない――そう思いませんか?」
勢いよく扉が開く。『私を助けなくていい!』その一言だけを送信して、の手から仲間との繋がりが転げ落ちた。
2020.11.10
サイト掲載 2020.11.14
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