初めて見たその顔は、



「大佐ぁー、聞いてくださいよお」
「……また貴女ですか」
 通い慣れた部屋のドアを開ければ、椅子に腰掛けて書類整理をしていたらしいその人はあからさまに嫌そうな顔をして溜め息を吐いた。
「なんですかその顔は。折角大佐とお話して親睦を深めようと思ったのに」
「いつもそう言って押しかけては私の話など一切聞かずに一方的に喋り倒して帰っていくのはどこの誰ですか」
「へえ、私以外にもそんな人がいるんですか。さすが大佐、モテモテなんですね!」
 にっこりと笑ってそう返せば、大佐は諦めたように書類を退かせ、立ち上がった。「自覚はあるんですね」とか何とか聞こえてきた気がする。
「……紅茶でも淹れましょう。飲み終わったら帰ってくださいよ」
 キッチンへと消える背中に感謝の言葉を投げかける。なんだかんだ言っていつもこうして話を聞いてくれるから何かあるとここに足を運んでしまうのだ。大佐は少し優しすぎるような気がする。そこも彼のいいところなのではあるけれど。
 実際、そんな彼の軍内での人気は凄まじいものであり、ファンクラブじみたもの(親衛隊だったような気もする)まである始末だ。ただ、准将のそれと違って大佐を崇めるというよりは彼を様々なハプニング等から守るといった傾向にあるらしい。確かに大佐は優秀であるが、よく何も無い所で躓いたり服にコーヒーを零したりとどこか抜けているようなところがあり、母性本能のような何かを擽られることも少なくない。部下が過保護になるのも分かる気がするし、そんな彼は可愛いと思う。成人男性に言うようなことではないとも思うが。
「でも私はやっぱり准将一筋だなあ」
「なら私ではなくカトル様のところに行ったらどうです」
 小さな音をたてて目の前にティーカップが置かれた。
「それが出来たら苦労しませんって」
「私のところには平気で何時間も居座る癖にですか」
「私の知ってる中で一番話しやすいのが大佐なんですよ」
「……喜んでいいのか微妙なところです」
 複雑そうな表情で紅茶に口をつける大佐につられて私もティーカップを手に取る。今日はアールグレイだろうか、独特な香りが湯気と共に広がった。
「でも准将のお部屋かあ……ちょっと行ってみたい気はしますね」
 きっと綺麗に片付けられているのだろう。家具類は白で統一されてそうだとか生活感が無さそうだとか、そんなことを考えて思わず頬がゆるむ。大佐が呆れたような表情でこちらを見てくるけれど准将のことを考えただけでこうなってしまうのだから仕方が無い。
「私の部屋にはノックもせず入ってくるのにカトル様の部屋には入れないなんて貴女もよく分かりませんね」
「だーかーらー、大佐と准将は全然違うんですってば。色々な意味で」
「……私も一応男なんですが」
 予想外の一言に思わずカップを落としそうになった。だってまさかあの大佐からそんな言葉が出るなんて。というかそれを貴方の周りの過保護な部下達に言ってあげるべきではないんですか大佐。きっと泣いて喜びますよ。
「いやそれは知ってますけど、こう……大佐相手に危機感とか持つだけ無駄っていうかなんていうか」
「……ほう」
 大佐の目が細められる。初めて見る表情にちょっとかっこいいと思ってしまった。もしかしてブラックバーンに乗ってる時はそういう表情もよくしているのだろうか。
「いくらここが女っ気ないって言っても大佐が私なんかに手出すことは無いって分かってますし――あつ、っ……」
 突然ソファの背もたれに手首を縫いつけられ、先程難を逃れたティーカップが転げ落ちた。それが割れることはなかったが琥珀の飛沫が脚にかかり思わず肩が跳ねる。
「何するんですか大、佐……っ!」
 何のつもりだと抗議をするべく視線を上げれば睫毛がぶつかってしまいそうで、反射的に顔を逸らした。
「さて……これでも、危機感とやらを持つつもりはありませんか?」
「っ、いくら大佐でも、怒りますよっ……!」
「どうぞ? 何か出来るなら、の話ですが」
 挑発的な色を含んだ声に、目の前の人物が本当に大佐なのか疑わしく思えてくる。いくら逃れようともがいても彼の力には敵わず、冷や汗が背中を伝った。
 首筋に嫌な感触を覚え、さすがにまずいと口を開く。
「あ、あのっ! 私にはカトル・バシュタール准将という想い人がですね!」
「……略奪愛、というのもなかなかいいと思いますよ」
「よくないです私が! っていうか略奪も何も准将とはまだ全然何もないしそこで喋らないでくださいくすぐったい!」
「色気もへったくれもない人ですね」
「やかましい! 大佐相手に色気なんて見せたらどうなるんですか今でさえこんな発情期のクァールみたいになってるくせ、いったあああ!?」
 あろうことか人の首を噛みやがりましたこの人。どうしよう、一言余計なことを口走ったせいで明らかに何かの地雷を踏んでしまったようだ。
「貴女は今の自分がどういう状況かきちんと理解出来ていないようですね」
 ああほら、彼の目が笑っていない。数分前までの優しくて可愛い大佐はどこへ行ってしまったのだろうか。確かにこれで彼も男だということは再認識出来たが、正直こんな大佐は知らなくてよかった。彼には私の心のオアシスでいてほしかった。無駄な威圧感を放つ彼からどうやって逃げようかと考えを張り巡らせていると、不意に部屋のドアをノックする音が響いた。
「フェイス大佐は居るか」
 まさに救世主。きっと私の普段の行いが良かったから見かねた神様が助けてくださったのだろう。今まで全く信じてなかったけどありがとうございます神様。これからは月に一回くらいは祈りを捧げることにしようと思います。
 その声に返事をした大佐の力が緩んだ。すかさず抜け出しそのがら空きの腹部に頭突きをお見舞いしてやれば小さな呻き声が降ってくる。視界の端に映ったソファと絨毯が汚れていたが今そんなことを気にしている暇はない。
「紅茶ごちそうさまでした!」
 そんなに頭突きが効いたのか硬直したまま動かない大佐にそう告げてドアへと足を向けた。そうだ逃げ出すついでにあの状況を打破してくれた救世主様の顔も見ておこう、とドアノブに手をかける。
「……ん? 貴様は……」
「え、」
 ただ間抜けな声をあげることしか出来なかった。
 何故先程の一言で判断することが出来なかったのか不思議な程に聞き慣れたその声は、この部屋を訪れるきっかけともなったカトル准将のものに違いなかった。
 何も言わない私を不審に思ったのかこちらを凝視してくる准将に自然と胸が高鳴る。しかしいつまでもここに留まっているわけにもいかず一礼してその隣をすり抜けようとした。のだが。
「……特に注意はせんが、勤務時間外が望ましいと思うぞ」
 唐突なその言葉に思わず振り返る。疑問符を浮かべる私を見かねてか、准将が自身の首を指し示した。なんのことだと自分のそこに手をやろうとして、気付く。――あの時、大佐は何をした。
 あれだけの痛みを感じたのだ。そこに何かしらの痕跡があっても不思議ではない。それ自体は隠せばいいだけであるので特に問題は無いのだが、それを目の前の人物に見られてしまったという事実に、血の気が引いていくのを感じた。
「っ……た……」
「?」
 本人を目の前にしたらまともに話すことも出来ないというのにどうして誤解を解くことが出来ようか。それに誤解を解いたところでだからどうしたと返されるのは目に見えている。今の私に出来ることはただ一つだけだ。
「大佐のっ……ばかあああああ!!!!!」
 脱兎の如く逃げ出す私を見て准将はどう思ったのだろうか。走りながらもそんなことを考えている自分には呆れるしかなかった。





2012.01.29
修正 2013.08.05



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