キンタウルスは、ただただ困惑していた。何度か目を擦り、辺りを見回し、風でなびく頬の毛を引っ張り、これは現実なのかと自問した。彼の期待とは裏腹に、目を擦っても眼前に広がる光景は消えず、周囲は自分の見知った風景で、引っ張った毛は痛みを訴えた。そこでやっと彼は現在の状況が夢ではないことを理解したが、それでも、渦巻く困惑は消えなかった。
「……俺は、どうすればいいんだ……?」
 先程襲ってきた突風が嘘だったかのように穏やかな陽射しの中、気が付いたらそこに倒れていた女性を目の前に、彼は立ち尽くすしかなかった。

***


「――で、オチは」
「デーヤン……俺は真面目に言ってるんだ」
 オフだったはずが突然呼び出されたデーヤンは真剣な顔で突拍子もないことを語るキンタウルスの話を一通り聞くと、普段の不敵な笑みを浮かべながら続き――彼曰く、話のオチだが――を促した。本当なんだよ、と頑なに主張するキンタウルスに、デーヤンも若干その笑みを引っ込める。
 元々冗談というものをあまり口にしないキンタウルスだ、今回のこれもきっと事実なのだろうということは彼も察していた。そもそも、いつもメンバーへ気を配っているリーダーの彼が、そんな冗談を言う為だけにオフの日に呼び出してくるような性格ではないことも分かっている。分かっていてわざと茶化したのは、寝ていたところを電話の呼び出し音で起こされたことに対する小さな意趣返しのようなものだった。
「あーはいはい。じゃあその倒れてたヤツってのはどうしたんだよ」
 少なくともこの部屋の中にはそんな人物はおらず、この話を今してきたということと彼の性格を考えてそれはないと思いつつも置いてきたのかと問いかける。そんな彼に、キンタウルスは首を横に振った。
「いや、一度目を覚ましたからとりあえず連れてきたんだが……また眠ってしまいそうだったから今は俺の部屋に――」
「……は!? なっ、おま、いや、……はァ!?」
「、デーヤン……いきなり叫ばないでくれ……」
 いきなり出された大きな声に思わず肩を揺らし、じとりとデーヤンを見やる。しかし彼はそんなことは歯牙にもかけずキンタウルスの肩を掴んだ。
「リーダー……狼だったんだな……」
「今更何を言ってるんだ」
 ああこれ伝わってねえわ、と心の中でぼやき、掴んだ肩を放す。ぐしゃぐしゃになってしまったカーディガンを直しているキンタウルスを横目に、デーヤンは小さく溜め息をついた。彼にお人好しなところがあるのは知っていたが、まさか道に倒れていたなんていう怪しいヤツをあろうことか自分の部屋に入れているなど予想しておらず、様子を見ようと彼の部屋へ向かう。キンタウルスの声が追ってくるのも構わず、ぺたぺたと廊下を進み、部屋のドアの前に立った。
 先程の話では寝ているということだったが、万が一のことも考えて静かにドアを開ける。部屋の中では誰かが動いている気配も無く少なくとも部屋を漁られているだとかそういうことはなさそうだった。さすがに考え過ぎだったかと件の女性が寝ているはずのベッドに目を向ける。
 最初は、彼は何の疑問も抱かなかった。しかしどこかに違和感を覚え、その正体を探る為にベッドを見つめながら暫し考えこむ。その正体に気が付いた瞬間、彼は目を瞠り、知らず知らずのうちに声をこぼした。ほんの短い時間であったが呼吸を止めていたことに気付き、一度ドアを閉め深く息を吐く。もしかすると自分は思った以上に疲れているのかもしれないと目頭をおさえ、しばらくそうした後もう一度目の前のドアノブを握った。再び目にした光景は彼がついさっき見たものと変わらず、一度緩みかけた警戒心が強まる。
 ミューモンである彼等は大抵寝ている間に変身しても大丈夫なように大きめの寝具を使用している。変身したまま眠りについても意識がなくなれば少なくとも一度変身は解けるのだが、どの場合においても、どんなに寝相が良くても、体に掛けていたものは乱れてしまう。そのはずが、現在デーヤンの目に映っているのは変身した姿であるにも関わらず綺麗に首まで毛布を被った女性の姿だった。それが、彼にとっては違和感の塊であるように思えたのである。


 難しい顔をしながら戻ってきたデーヤンに気付き、キンタウルスは水を注いだばかりのグラスを差し出しながら首を傾げた。
「やっと戻ってきたと思ったら……どうした、デーヤン。お前がそんな顔をしているなんて珍しいな」
「あ? あー、リーダー。あれ、いつからあの姿なんだ?」
「いつから、って……最初から変わってないぞ?」
 受け取った水を一気に飲み干し、疑問をぶつける。聞かれた彼はそのことはさほど気にしていなかったのかさらりと答えたが、その返事を聞いてますますデーヤンの疑念は深まっていく。
「……おかしいとは思わなかったのか?」
「珍しいとは思ったけどな。放っておくわけにもいかないだろう?」
「……はあ。なんつーか、ホントお人好しだよな。リーダーは。今の台詞、そのTシャツじゃなきゃもっとイケてたぜ。ケケ」
「ぐ、またお前はそうやって……」
 どうするべきかは迷ったが、保護しているキンタウルスがこんな調子であるし、まだ何か被害があったというわけではないので彼はひとまず深く考えるのをやめ、いつものように軽口を叩き始める。起きたらどんなことを聞いてやろうかと思案を巡らす彼の瞳は、まさに悪事を企てる悪魔のそれであった。





2014.09.12
サイト掲載 2014.10.05



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