Love or Like?
それは、彼の唐突な一言だった。
「僕のこと、好き?」
「はい?」
投げかけられた言葉の意味が飲み込めず、思わず聞き返してしまう。
私がマツバさんを好きかどうか? そんなのイエスに決まっている。伝わるようにそれなりに態度に表しているつもりだし、恥ずかしいけどたまには言葉にして言っていたりもする。
どうして突然そんなことを聞いてきたのだろうか。色々と考えを巡らせてみたが、彼の質問の意図は読めない。
「どうしたんですか? いきなり」
考えても分からなかったので、疑問をそのままぶつけてみる。
すると彼は質問に答えなかったのが気に障ったのか、少し不機嫌そうな顔になった。珍しい、いつもは滅多に負の感情を表に出さない人なのに。
「どうでもいいでしょ、そんなの。それより答えてよ。僕のこと好きなの? 好きじゃないの?」
これ以上彼を苛立たせるのは良くない気がして、正直に答える。
「好きです、よ?」
「……ふうん」
何だか彼の纏う空気がとても暗いものに感じ、思わず言葉が途切れそうになった。
なんだろう。いつものマツバさんじゃないみたいな、そんな感じがする。私を映している深い菫色の瞳はなんだか底の無い沼の様で。
それに、やはり表情がいつもとは違う。彼はいつだって穏やかな笑みをたたえていた。私が知っている限り、その表情が崩れたことは今までに片手で数えられる程度しかない。
しかし、その数回ともまた違うのだ。今回は。
じとりと私を見つめる彼は、驚く程無表情だった。普段とは別の意味で、全く感情が読み取れない。
「……じゃあ」
ふと、彼が新たな言葉を発した。
「ミナキくんのことは、好きかい?」
まるで感情のこもっていない平坦な声で発された質問に、私はどうしたものかと脳内で考えを巡らせる。どうしてここでミナキさんが出てくるのだろう。
確かにミナキさんはいい人だし、彼のことは好きだ。けれど、ミナキさんに向ける“好き"とマツバさんに向ける“好き"はまるで別物である。簡潔に言うならライクとラブだ。だがきっと今そんなものは彼にとって全く関係無いのだろう。
どうしたものかと答えあぐねていると、痺れを切らしたのか彼が口を開いた。
「ねえ。どうなの?」
「それは、その……好きか嫌いかって言われたら、好き、ですけど……」
彼の雰囲気に気圧され、語尾が小さくなってしまう。
というか、「好き」の一言を言った瞬間に確実に部屋の温度が下がったように感じた。当のマツバさんは何も言わずにこちらを見ているだけなのだが、なんというか、視線が痛い。もし視線に質量があったなら今頃私はそれに押し潰されてしまっているだろうという程に。
もしかして彼はくろいまなざしが使えるのではないか。ゴーストタイプのポケモンに囲まれすぎて彼も技が使えるようになってしまったんじゃないか、なんて、こんな状況にもかかわらずふざけたことを考えてしまう。しかし、本当にそうなのでは、と思ってしまう自分がいるのも事実だ。現に、彼の視線に射抜かれた私は逃げるどころか身動ぎすら出来ない。
「……君は、いつもそうだよね」
「え、……?」
ぽつりと呟かれたその言葉の意味は私には理解できず、彼の次の言葉を待つしかなかった。
「君が、他の誰かに好きって言う度、僕がどんな気持ちになるか知ってる?」
テーブルを挟んで座っていたマツバさんが立ち上がり、こちらへ近付いてくる。
初めて彼を怖いと感じた。出来ることならば今すぐこの場を立ち去りたい、と。それなのに、体はぴくりとも動かせない。
「凄いんだよ。もうね、頭を思いっきり殴られたみたいな感じがするんだ」
ゆっくりと私の横にしゃがみ、目線を合わせた彼は、そこで始めて薄い笑みを浮かべた。
ぞくり、背中が粟立つ。
優しく肩に置かれた手にすらびくついてしまう。
「君が言いたい事も分かるよ。僕に向けるのと他人に向けるのとでは好きの意味が違う――そう言いたいのはわかるんだ。でもね」
気付くと、彼の後ろには天井が見えた。これは本格的に逃げられない。こめかみを一筋の汗が伝った。私に覆い被さる彼の口元は笑っているのに、笑っている感じが全くしない。それもそうだ、目が全く笑っていない。
そんな彼に真っ直ぐに目を見つめられ、視線が逸らせるはずがなく。
「どんな形であれ君に好きなんて気持ちを向けられるのは僕だけでいい。僕は君の“一番”になりたいんじゃない、“唯一”になりたいんだ」
首筋を滑る指に、息を飲む。
どうやら私の声帯は職務を放棄してしまったようで、何か言おうと口を開いてもまるで声が出ない。口の中はからからで、唾液を飲み込む事すらままならなかった。
陸に打ち上げられた魚のように口を開閉させる様は彼の瞳にはさぞ滑稽に映っているのだろう。
「おかしいと思う? 狂ってると思う? でも僕はもう堪えられないんだ。君が他の奴らに笑顔を振りまいてるのが、どうしても。だから、こうするしか、ないんだ」
――ごめんね。
そう言った彼は、それは美しく笑っていた。
2011.08.10
修正 2016.11.13
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