「今日も暑いね」
 開け放たれた窓から空を見上げている女性がそう呟くと、隣に立つ彼がぴくりと肩を揺らした。
「――ごめんね、貴方のせいじゃないよ。だから離れていかないで」
 申し訳無さそうな顔で少しだけ横にずれた彼に女性は眉を下げてその体を引き寄せる。彼はこのくらいの時期になると何かと彼女の「暑い」という言葉に反応しその身を彼女から遠ざけようとするものだから、彼女もなるべくその単語を口にしないようにしていたし、ついそれをこぼしてしまった後は決まって今のように謝るのだった。
 彼は人間ではなかった。ヒトのような体型をしてはいたが、彼女と同じ種族ではなく、彼女と言葉を共有することすらも出来はしない。しかし、お互いの言っていること全ては理解できなくとも意思の疎通は出来た。きっと、幼い頃から寝食を共にしてきたからだろうと彼と彼女は考えている。彼女に限らず、パートナーと共に旅をしてきた者達はそう語るのだ。彼のような存在もまた、長く傍にいれば人間の操る言葉がどのような意味を持っているのかをある程度理解出来るようになる。彼自身はその感覚を覚えたことはないが、「アツイ」というのが今日のように気温が高いのを指すのだということはいつの間にか認知していた。それと同時に、そういう時は自分が近くにいるのはあまり良くないのではないかということも。逆に「サムイ」という時は自分の高い体温が役に立ち彼女も嬉しそうにするので、彼は今よりもその季節の方が好きだった。
 彼等はお互いのことを大切に思っている。その感情はただのパートナーという単語では言い表せないような、そんな熱を孕んでいた。それが普通なら同種族の者に向けるものなのだと、彼も彼女も知っている。だからこそ、彼は、彼女は、自分の感情をその胸に押し込めた。
「星、綺麗だね」
 今住んでいる場所はどちらかと言うと田舎寄りで、夜になると数少ない民家の明かりと一定間隔に立ち並ぶ街頭以外には光源が無い。そのため、暗くなると満天の星を楽しむことが出来た。彼女の言葉に顔をあげた彼の目ではその小さな光の粒をはっきりと認識することは出来なかったが、彼は同意するように頷く。そのことを分かっているように彼女は目元をゆるませ、ふわりとした彼の背中を撫でた。
 電気を消した部屋に差し込むのは柔らかい月の光だけで、それは薄く二人の影を浮かび上がらせる。淡い光に照らされるこの彼女の姿が、彼は何よりも好きだった。彼が今よりずっと小さかった頃、暗く不安な中で震える体を抱きしめてくれた彼女は、唯一の光だったのだ。
「そういえば、今日は七夕なんだよね……笹も短冊も無いけど、願い事でもしよっか?」
 もしかしたらジラーチが願いを叶えてくれるかもね、と彼女は笑う。そんな彼女を見て、自分が願うならどんなことだろうと彼は考える。ずっと一緒にいられるように、だろうか。彼女が幸せでいられるように、だろうか。色々な考えを巡らせて、ふと、一つの願いが脳裏をよぎる。――なんでも願いを叶えてくれるというのならば、彼女と同じ――
「……ずっと、一緒にいられますように」
 彼女の声で、彼の思考はその流れを止めた。自分が最初に考えたものと同じ願いを口にした彼女の微笑みは家族に向けるような慈愛を含んでいるように見えた。たまらずに彼は視線を下げ、壊さないようにそっと彼女を腕の中に閉じ込める。彼からはあまりしてこないその行動にほんの少し目を丸くした彼女も、すぐに笑って逞しい身体に身を委ねる。
「願い事、同じだったなら嬉しいな」
 そうやって彼女が笑うものだから、そうだ、とでも言うように腕の力を強める。胸に擦り寄せられる小さな頭がただただ愛おしい。彼女の願いは自分の願いでもあり、きっとそれが彼女にとっても自分にとっても一番の幸せなのだと、自分よりも柔らかく脆い体を抱きしめながら目を閉じた。縋りたくなった現実味の無い夢を捨て、彼は心の中で願う。これから先も、彼女と共にいられることを。





2014.07.07
サイト掲載 2016.11.13



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