恋に落ちる



「グラジオはさー、好きな子とかいないのー?」
 唐突にハウから飛び出した言葉に、手にしたボトルへ口を付けようとしていたグラジオはその動きを止め、小さく息を吐いた。
「……突然何を言い出すかと思えば……興味ないな」
「またまたー、そんなこと言っちゃってー」
「くだらない」
 笑顔を浮かべながら二の腕をつついてくるハウに面倒くさそうな視線を投げかけ、何かに影響でも受けたのかと思案するが、そんな考えは一瞬にして『どうでもいいが鬱陶しい』という思いにかき消された。やめろ、という一言と共に軽く手を振り払われ、ハウは「ちぇー」と唇を尖らせる。
 大体そういう話を振るならもっと他に適役がいるだろう、と呟こうとしたグラジオだったが、これ以上面倒なことになってはごめんだとこぼしかけた言葉を飲み込んだ。横に座っているシルヴァディをひと撫でし、話題を終わらせる為の言葉を紡ぐ。
「オレはこいつと強くなるんだ。そんな無駄なことに割く時間はない」
「つまんないのー」
 ハウが足を小さくばたつかせてじとりとグラジオを見つめるが、彼はそんな目など意に介さず立ち上がる。
「お喋りは終わりだ。もう一戦付き合え」
「はいはーい……って、あ、グラジオ危な――」
 後ろから人影が近付いていることに気付かずにグラジオは踵を返す。ハウの声に気付きはしたが、勢いが殺せずそのまま彼はその女性と真正面からぶつかった。
 小さな悲鳴を上げ、よろめいた女性の腕を慌ててグラジオが掴む。
「っ……悪い、大丈夫か」
 しりもちをつくことを覚悟していたのか固く目を閉じていた彼女は、おそるおそる瞼を持ち上げ、目の前の彼が支えてくれていることを確認すると、「ごっ、ごめんなさい!」と頭を下げた。
「いや、いきなり振り向いたオレが悪かった」
「ううん、何も言わずに近付いた私も悪いから……その、ありがとう。支えてくれて」
 眉を下げて笑う彼女にグラジオが一瞬動きをとめ、しかし彼女の腕を掴んだままだということに気付き、「すまない」とその手を放した。
ねーちゃんだいじょーぶ!? もーグラジオ! ちゃんと周り見なきゃダメだよー!」
「こんにちはハウくん。この子のおかげで何ともないよ。大丈夫」
 立ち上がり駆け寄るハウに、と呼ばれた女性は笑顔を返す。その様子にハウは「よかったー」と胸を撫で下ろした。
「……ハウの姉、か? そんな話は聞いたことなかったが……」
 二人を見比べていたグラジオが、不思議そうな表情を浮かべながらそう呟く。
「ちがうよー! でも家が近くて、おれが小さい頃からよく面倒見てくれてるんだ! だからもう『ねーちゃん』ってかんじなんだよねー」
「ふふ、そうねぇ。ええと、初めまして、っていいます。よろしくね」
 ハウの説明に、グラジオは納得したように頷いた。 
「そうだったのか。オレはグラジオ。ハウとは……バトル仲間だ」
「そこは普通に『友達』でよくない!?」
「いいじゃない、バトル仲間! ハウくん、最近前にも増してバトル頑張ってるものね。二人とも『打倒チャンピオン!』なのかな?」
 二人のやり取りにくすくすと笑うがそう問いかけると、ハウは力強く首を縦に振る。
「そうだよー!! 今日もまだこれからバトルするんだ! ねーちゃんも見てってよー!」
 「ね! ね!」と飛び跳ねんばかりの勢いで聞いてくるハウにイワンコの耳と尻尾が生えているように錯覚し、は思わず頬をゆるめる。頭をくしゃりと撫でてやれば、「へへー」と嬉しそうに目を細めた。
「そうね、今はまだ時間もあるし……」
 そこで言葉を止め、が二人をじっと見つめていたグラジオに顔を向けた。突然自分に向けられた視線に動揺したのか、グラジオは咄嗟に左手で表情を隠す。
「見学していってもいいかな?」
 その言葉に彼は頷き、気付かれぬように息を吐いた。
「……ああ。好きにすればいい」
「ありがとう! それじゃあお言葉に甘えさせてもらうね」
 ぱっと表情を明るくさせたから目を逸らし、グラジオは「行くぞ、シルヴァディ」と告げてフィールドへ向かう。
「やったー! おれ頑張るから見ててね、ねーちゃん!」
 ぶんぶんと手を振りながらハウもそれに続き、は手を振り返しながらその背中を見送った。

***


「あーーー!! 負けたーーーーー!!!」
 悔しそうにじたばたするハウを横目に、グラジオは軽く鼻を鳴らしてしゃがみ込み、シルヴァディにポケマメを与える。
「張り切るのはいいが、力が入りすぎだ。力技で何とかなるほどオレもこいつも甘くない」
「くっそー! 次は絶対勝つからねー!」
「フン、どうだかな」
 グラジオが余裕を滲ませた笑みで言い放つと、ハウは更に悔しそうに眉をしかめ、それを発散させるかのようにジュナイパーのブラッシングに取り掛かる。ジュナイパーの翼が元の艶を取り戻す頃には、彼の表情はすっかり元に戻っていた。
「っていうかさー、なんかグラジオもいつもと違った気がするんだよねー。やたら容赦ないっていうか……まあいつも容赦ないけどさー」
「……気のせいだろ」
「そーかなー?」
 グラジオの返答にまだ何か言いたげな顔をするハウだったが、二人の会話に区切りが付いたと判断したがこちらに駆け寄ってくるのを確認し、ひとまず疑問は横においておくことにした。
「二人ともお疲れ様! バトルってやっぱりすごいのね。近くで見るとすごく迫力があって、見てる私までどきどきしちゃった!」
「えへへー、ありがとねーちゃん! グラジオとのバトルはいつもすっごい楽しいんだー! 今日はおれが負けちゃったけど、次はおれが勝つからまたバトル見に来てよね!」
「うん、私もまた見たいからバトルするときは教えてね!」
 やや興奮気味なの言葉をハウが満面の笑みで受け止める。それを眺めるグラジオは二人の周囲でキュワワーが飛び交っている幻覚が見えたような気になり、軽く頭を振った。
「……まあ次もオレが勝つけどな」
 二人の雰囲気が何となく気に入らずそう短く言い放つと、がグラジオの方へと向き直る。失言だったかと目を泳がせたが、彼女は気にした風もなく、にこにこしながら口を開いた。
「グラジオくんと、シルヴァディ? もすごくかっこよかったよ! バトル強いのね!」
 そんな言葉と同時に額の辺りに手が伸ばされ、グラジオは半ば仰け反るようにして後ずさった。そんな彼の反応に驚くように瞬きをするは、自分が無意識にしようとしたことを認識し、慌てて手を引っ込める。
「あっ……ごめんなさい! いつもハウくんにしてるからつい癖で……! そうよね、初対面の人にこんなことされるの嫌よね……!」
「い、いや…………別に、少し驚いただけだ。気にしなくていい」
「そう……? でも本当にごめんね、気をつけるね」
 軽く額を抑えゆるく首を振るグラジオを見て、はその表情に安堵の色を浮かべた。
「んー……んん……?? ……あっ!」
 二人の様子を見ていたハウが考え込むように首を傾げ、突然はっとして声を上げた。その声は思いの外大きく、横にいた二人はその声に一瞬肩をびくつかせ、揃って窺うようにハウを見やった。
「……?」
「どうしたのハウくん?」
 二人に注目されたハウは思い至った考えを口にすることなく、何事もなかったかのように笑顔を浮かべた。
「……んー、なんでもない! ねーちゃんはもう帰っちゃう? おれたちとマラサダ食べに行かない?」
「うーん、すごく行きたいんだけど……ごめんね、夕方から用事があるからそろそろ行かないと……」
 が申し訳なさそうにそう告げると、彼は残念そうに眉を下げたが、またすぐに表情を戻し、頭の後ろで手を組む。
「そっかー。じゃあまた今度ね!」
 歯を見せて笑うハウに再びぱたりと揺れる尻尾が見え、は「うん、ぜひヨウくんも一緒にね」と彼の頭を撫でた。彼女の手が離れる瞬間に名残惜しそうな顔を見せたハウは「約束だよー!」と飛び跳ねる。
「グラジオくんも、またね」
 去り際に手を振りながらそう投げかけられ、グラジオは逸らしそうになった目を彼女に向けて「ああ」とだけ返すのだった。

***


「……行っちゃったねー」
「そうだな」
 特に示し合わせたわけでもなく無言で彼女を見送っていた二人だったが、その背中が見えなくなると同時にハウがぽつりと呟き、グラジオもそれに応える。その瞬間ぐるりとハウの首が勢いよくグラジオに向き、突然のことにグラジオは小さく肩を跳ねさせた。一体何なんだと言わんばかりの表情を向けてくるグラジオに対し、ハウはグラジオが見たことのないような笑顔で口を開く。
「……『そんな無駄なことに割く時間はない』……だっけ?」
「…………何が言いたい」
 突然何だと返そうとしたグラジオは、覚えのあるその――ご丁寧に声色まで寄せられた――台詞に言葉を詰まらせ、一呼吸置くとほぼ睨むような目をハウに向ける。
ねーちゃんかわいーよねー。わかるわかるー」
「おい」
 殺意すら感じ取れる程のグラジオの視線をものともせず、それはもう太陽のような笑顔を浮かべながらハウがしみじみと頷いた。彼の言わんことを充分すぎる程に察したグラジオが制止の為の声を発するも、ハウの表情の輝きは全く弱まらないどころか強さを増していく。
「おれ応援するよー!」
「何をだ。おい、さっきからなんだその顔は。にやにやするな」
 ついには拳を握り高らかに宣言され、どうにかして彼を鎮めようととりあえずその肩に手を置こうとするが、ひらりと躱されてしまった。
「ヨウも呼んで今夜はオセキハン? かなー!」
 グラジオの手を躱したかと思えば、ハウは「ジュナイパー、ダッシュだー!」と逃げるかのように走り出す。
「あっおい待て!!!! その顔をやめろ!!!!」
 グラジオも一歩遅れてその後を追うが、謎のエネルギーに満ち溢れているハウには追いつけないばかりかどんどん距離が離されていった。
 そうして二人は島中を走り回ったが最終的にグラジオはハウを止める事ができず、頭を抱えるグラジオの姿があったという。





2017.06.16
修正 2024.02.21



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