ルキノは、寒さが好きではない。彼の好きな生き物たちが活動しなくなるというのもそうだし、『魔トカゲ』の姿になってからは自身も低気温の中で動くのが億劫になった。
普段より幾分重く感じる身体を動かしながら、脳裏にちらつく記憶に苦い顔を浮かべる。やはり、寒さは嫌いだ。纏わりつくそれを振り払うように頭を軽く振って部屋へと続く扉を開けた。
暖かな空気で満たされた部屋の中、薪ストーブの前でうたた寝をしている恋人の姿をとらえて目元をゆるめる。少しでも冷たい空気が入り込むのを抑える為に素早く扉を閉め、彼はそちらへと足を向けた。
静かに寝息を立てているの隣に腰掛け、落ちそうになっているブランケットを掛け直してやる。身じろいだ彼女は目を覚ます気配がない。そっとその体を自分の方へ引き寄せ、旋毛に唇を落とす。
眠りながら無意識に頭を擦り寄せてくる彼女に愛しさを覚えて、思わずふっと息が零れる。
自分がこんな風に誰かを愛しく思う日がくるとは思っていなかった。そんなことを考えながら、彼もまたゆっくりと目蓋をおろした。
熱い。熱い。熱い。何故、何故こんなことに。誰か助けてくれ。嗚呼、体が思うように動きさえすれば。人間の言葉を、信じることなどしなければ。後悔したところで何もかも遅い。熱い。息ができない。いつまでこの苦しみが続くのか。早く、早く私を――
「――さん、ルキノさん!」
「は、ッ、……!」
身体を揺らされ、目を覚ました。呼吸を止めでもしていたのか妙な苦しさを覚え、ルキノは荒く呼吸を繰り返す。激しく脈打つ心臓の音がひどく耳に障った。
「大丈夫ですか……? すごく魘されて――」
「ッ、触るな!」
心配そうな顔で伸ばされた彼女の手が音を立てて弾き落とされる。痛みにかルキノの行動にかもしくはそのどちらにもか、彼女の瞳が驚愕の色で染まる。普段であれば、ルキノは絶対に彼女に手をあげたりしない。彼の精神状態が異常であることはの目にも明らかだった。
彼の息遣いと、ストーブが立てるぱちぱちという小さな音だけが部屋に響く。
痺れるような痛みを訴える手を空中で彷徨わせながらルキノの様子を窺う彼女は、炎が弾ける度に彼の肩が僅かに跳ねることに気が付いた。あかあかと燃える炎と彼に交互に視線を向け、静かにストーブのレバーを調節する。炎はすぐには消えないだろうが、少しはマシになるだろう。
「……ルキノさん」
「――どうして、何故私が、あんな……あんな、っ……!」
顔を覆い錯乱した様子で呟き続けるルキノを、がぎゅうと抱きしめる。一瞬、それを引き剥がそうとする彼だったが、優しく背中をさすられてぴたりと動きを止めた。
「落ち着いて、深く息を吸って。そうです、ゆっくり、ね。大丈夫ですから」
子供をあやすような声と手つきに次第に落ち着きを取り戻したルキノは、緩慢とした動作での背中に腕を回す。縋り付くように服を握りしめるその手は、心なしか震えているようだった。
二人とも何も言わず、ただ時間だけが流れていく。どれほど経ったか、ようやくルキノが口を開いた。
「……すまない……混乱していたとはいえ、キミに手をあげてしまった」
「気にしないでください。そういう時もありますよ」
彼はまだ顔を上げない。穏やかな口調で言葉を紡ぎながら背中を撫で続ける彼女の手に、ルキノは再び謝罪の言葉を口にした。
痛かっただろう、怒りを覚えただろう、呆れただろう、言うべき言葉は色々と浮かぶのに、何一つ声に出すことができず口を開いては閉じることを繰り返す。
「……もう少しだけ、このままでいさせてくれないか」
吐き出すことができたのは、そんな懇願だけだった。
「どうぞ、好きなだけ」
そう言って、彼女はルキノの頭にそっと手を滑らせる。労るようなその手つきに罪悪感を覚えるが、まだ彼女を気遣うだけの余裕が彼にはなかった。
情けない所を見られてしまったと自嘲的に息を吐いて、ルキノは彼女の首元に顔を埋める。こんなにも自分は弱かっただろうか。自分の倍ほどの大きさもある男が怯えるように身体を縮めている様はさぞ滑稽だろうに、は一切そんな様子を見せない。彼女の背に回した腕に込める力を少しだけ強めれば、「大丈夫ですよ」という言葉と共にぽんぽんと背中を軽く叩かれた。
今だけ、頭の中を全て彼女のことで満たすことができればいいのに。らしくもなくそんなことを考える自分に、ルキノは静かに乾いた笑い声を零した。
2020.11.14
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