向かい側に座り微笑みを浮かべながら自分のことを見つめている男を、は難しい顔で見つめ返す。少しの間そうしていた彼女は諦めたように目を逸らし机の上の菓子を手に取るも、迷ったような素振りをしてそのまま皿に戻した。
「あのう、謝必安さん」
「どうしました、さん」
「あんまり見ないでもらえますか……」
 ほんのりと頬を赤く染めてそう口にするに、謝必安は「ああ、すみません」と悪びれた様子もなく返す。そして徐に立ち上がったかと思うと、流れるように彼女の隣へと腰掛けた。
 そのまま腰に手を回す謝必安にの顔の赤みが増す。
さんが可愛らしくて、つい目で追ってしまうんです」
「う……謝必安さんすぐそういうこと言う……」
「本当のことですよ?」
 謝必安は先程が戻した菓子をつまみ上げて彼女の口元へと持っていく。唇に押し付けられたそれをもそもそとおとなしく齧りだすを見て彼はくすりと笑い声を零した。
 与えられた菓子に舌鼓を打ちつつ、は考える。いつも彼のペースに呑まれがちだが、どうにかして主導権を握ることはできないか、と。
 こうして手ずから与えられた物を何の疑問もなく口にしている時点でそれは難しいというのは彼女自身も薄らと自覚している。しかしどうにかできないかと考えてしまうのも事実で、そんなことを考えていると悟られぬようには思考を巡らせた。
「美味しいですか?」
 にこにこと笑む謝必安はそう言っての顔を覗き込む。肯定の言葉と共に頷けば、彼は「それはよかった」と再び皿へと手を伸ばした。は何とも言い難い表情を浮かべながら、拒むこともできずに差し出された菓子を咀嚼した。
 物理的にも精神的にも、は謝必安と比べると弱い。それを覆して主導権を握るとなると、やはり少々手荒な手段を取らざるを得ないのではないか。止める者がいないの脳内ではどんどん思考が加速していく。
 相手を思うようにしたいのなら、弱みを握る、というのがよくあるパターンだろう。だが彼の弱みなどというものはにはあまり心当たりがなかった。
(傘、は、さすがになあ……)
 それ――いや、『彼』をどれだけ大切にしているかはも痛いほど知っているし、いくら自分に甘い謝必安であっても傘に手を出した時点で確実に彼の中では排除すべき存在となってしまうだろう。彼が己よりも大切にしている存在に手を出すことはしたくないし、一度失っているとはいえだって命は惜しい。
 しかし一瞬でもそんな考えが浮かんでしまうほどに、彼女から見た謝必安には隙がなかった。
 どうしたものかと考え込むは、そこでようやく咀嚼しているものがいつまでもなくならないことに気付いてはっとした。
「ぁわっ!? ご、ごめんなさい謝必安さん! ぼうっとしてました……!」
「ふふ、構いませんよ。背中に爪を立てられるよりは痛みも――」
「謝必安さん!」
「冗談です」
 顔を真っ赤にするに、謝必安はおかしそうに喉を鳴らす。彼がの唾液で濡れた指をごく自然に自身の唇へと近付けるものだからは必死でそれを止めた。
「それで、何をそんなに考え込んでいたのですか?」
 真っ直ぐな彼の瞳に射抜かれて、彼女はもごもごと口籠る。教えてください、と冷たい手に頬を包まれるが、考えていた内容が内容なだけに包み隠さず答えるのは憚られた。
「……その、謝必安さんは何が大切なのかな、というか……何に弱いのかな、みたいな……」
「あら……私のことを考えてくれていたんですね。嬉しいです」
 顔を綻ばせた謝必安はの額に唇を落とす。くすぐったそうにしながらそれを受け入れる彼女をぎゅう、と抱きしめ、彼は「私が何に弱いかなんて、知っているでしょう?」と囁く。
「無咎と貴女がいれば、私はそれで幸せなんです」
 額を合わせて、謝必安はそのまま軽く唇を触れ合わせた。
 そんな大袈裟な、と笑い飛ばすにはその声色は真剣すぎて、はかなわないとひっそり溜め息をつく。そっと抱きしめ返せば謝必安の頬がゆるみ、背中に回った腕の力が少しばかり強くなる。
 一瞬だけでも主導権を握ることができる日は来るのだろうか。未だそれを諦めることができないだが、頭の中の冷静な部分に『余程のことがないと無理だ』と諭されて内心で項垂れた。





2020.09.26
サイト掲載 2020.09.28



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