にはここ最近ずっと気になっているものがある。それは、ヴァイオリニストであるアントニオの髪の毛だ。
彼の意思で自在に動き、ゲームにおいては武器を振るう為に用いられるそれ。どの程度まで動かすことができるのか、触覚や痛覚のようなものはあるのか、は彼を見るたびに頭の中をそんな疑問でいっぱいにさせていた。
そして今現在、談話室に足を踏み入れた彼女の視線の先には興味の対象である彼がいた。無防備にソファーでうたた寝をしているアントニオを見たが何を考えたのか、彼女の心中を知る者ならば想像に難くないだろう。
「……アントニオさん?」
足音を忍ばせて彼に近寄り、小さな声で名前を呼ぶ。彼は何の反応も示さない。思わずゆるんだ頬を両手でおさえ、はきょろきょろと周囲を見回した。
この時間帯には珍しく、部屋の中にはとアントニオしかいない。改めてそれを確認して、彼女は目の前で静かに寝息を立てる彼を見つめ、ごくりと小さく喉を鳴らした。
「……す、少しだけ……」
そうっと、その滑らかな黒髪に手を伸ばす。指一本分ほどの太さになる量を掬い取り、は目を輝かせた。
「わ、わ……すごい、さらさら……」
想像していたよりもやや細く柔らかな髪の毛は特に傷んでいるようなこともなく、とてもゲームで酷使されているとは思えない状態だった。
予想外の感触にすっかり心を奪われてしまったは、先程よりも少し大胆に、その髪の毛を指で梳いてみる。引っかかるような感覚は全くなく、持ち上げるようにすると大半が零れ落ちるようにするりと指をすり抜けていく。それが何とも堪らず、彼女は夢中になってアントニオの髪を梳き続けた。
どれほどそうしていただろうか。はっと我に返ったはひやひやした様子で彼が起きていないかを確認し、未だ寝ているようだと察すると安堵したように息を吐いた。
名残惜しくはあるがこれ以上触っていると彼も起きてしまうだろうと考えた彼女は、くるりとアントニオに背を向ける。近付いて来た時と同様に足音を立てぬよう、密かにその場を去るべく足を踏み出そうとした彼女の後ろで、ざわりと何かが蠢いた。
「え、」
空気の動きに気が付いたが後ろを向くよりも早く、彼女の腰にしゅるりと黒いものが巻きつく。そのまま宙に浮いたは言葉にし難い感覚に「きゃあ!?」と声を上げた。
「……寝込みを襲ってきたかと思えば……何も言わずに帰るのか?」
ほのかに温かいものの上に座らされたの耳元で、甘い声がそう囁く。ぶわりと顔を赤く染め上げ体を固くした彼女が「あ、アントニオ、さん、いつ起きて、」と喉を震わせると、おかしそうにくすくすと笑う声が彼女の耳を擽った。
「いつ……そうだな、そこの扉が開いた辺りだったと思うが」
「な、っ……!」
「目だけでそちらを確認したら君がこそこそと近付いてくるものだから、一体何をする気なのかと興味が湧いてね」
彼が言葉を重ねるごとにの顔の赤みが増していく。「随分と夢中になっていたな?」という台詞で、彼女はついに耳まで真っ赤になった。
「っ、そ、その、あの……か、勝手に触って、ごめんなさ――ひゃわっ!?」
不意に、首筋にひんやりとした柔らかいものを感じてが声を上げる。それが離れる瞬間、ちゅ、と軽い音が立ち、くちづけられたのだと気が付いた彼女は再びその身を硬直させた。
その隙に向かい合うような形に体の向きを変えられ、にんまりと口元を歪めるアントニオの顔が目に入る。あわあわと視線を泳がせる彼女にくつりと喉を鳴らすと、アントニオはその耳元に顔を寄せた。
「……髪だけで満足なのか?」
そんな声と共に耳を軽く食まれ、はぞくりと何かが背中を駆けていく感覚に襲われる。
「ぁ、う、その、私、……」
好奇心は猫をも殺す。そんな言葉がの脳裏を過ぎる。
どうすれば、と考えながらも縋るように彼の服を握っている彼女からは、既に彼を拒むなどという選択肢は消え去ってしまっていた。
2020.09.22
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