明るい家族計画
「実は、私には子供がいるんだ」
神妙な顔をしたルキノさんから放たれた言葉に、喉がひゅっと音を立てた。
唐突に『言っておかねばならないことがある』と切り出された時点であまり良い予感はしていなかったのだけれど、まさかこんなことを言われるとは誰が予想できただろうか。こども。子供ってなに。もしかすると何か私の知らない意味があるのかもしれない。そうであってほしい。
動揺と混乱で全く頭が回らず、口を動かしても声が全く出てこない。というか、声が出たところで何と返すのが正解なのだろう。もう何も分からない。
「お、男の子ですか、女の子ですか……」
しばらくの沈黙の後にどうにか絞り出した台詞がこれである。違う、そうじゃない。絶対違う。今聞くべきはそれじゃない。
私の言葉にぱちりと瞬いたルキノさんが、「どちらも雄ですよ」と返してくる。まって。複数いるんですか。ただでさえ飲み込めていないのに次々と新たな情報が出てきてパンクしてしまう。
そんな話は聞いたことがないけれど、実は結婚していたとかそういうあれだろうか。いや、まあ、少し……だいぶ――かなり、研究のこととなると周りが見えなくなりがちとはいえ、ルキノさんは紳士的で優しくて頭が良くてかっこいい素敵な男性である。そんな彼のことを世の女性達が放っておくわけがないし、過去に恋人や配偶者がいたとしても何らおかしくはない。
しかし、先程彼は子供の性別を『雄』と称した。普通は人間の子供に対してあまりそういう表現は用いないだろう。――つまり、だ。彼の言う『子供』は少なくとも彼が今の身体になってから生まれた、と考えるのが自然である。
「……わ、私とは、もう終わりってこと、ですか……?」
「待て待て待て。待ってくれ。どうしてそうなるんだ」
じわりと涙が滲みそうになって俯きながら口を開けば、珍しく慌てたような声が降ってきた。思わず顔を上げて視線を向けた先の彼は困り顔で首の後ろをさすっている。
「……ちがうんですか」
てっきりそういう話なのだと思った。だってルキノさんは誠実だから。
子供がいるということはすなわち母親がいるということで、そんな存在が――おそらくこの荘園内に――いるにも関わらず他の女と関係を持ち続けるようなひとじゃない。……前のパートナーに子供がいるかもしれない、という状態で新しく恋人を作るのもいかがなものかとは思うけれど。
いや、でも、もしかすると現在進行形でその女の人とも関係が続いている、なんてことも、ありえないことではないのでは? それで、本命に子供が生まれたから『遊び』の私とはお別れ、みたいな……。
ルキノさんは違うと言ったけれど、頭の中はどんどん悪い考えで満たされていく。そもそも、先程の彼の言葉が事実ならば別れる別れない以前の問題なのだ。私にとっていい話であるとは到底思えない。どうしようもなさすぎて半分くらい泣いている。
「ええ、違――待て。聞いてくれ。頼むから私の話を聞いてくれないか。すまない、切り出し方を間違えた。キミにそんな顔をさせたかった訳ではなくてだな……」
私の顔を見たルキノさんが、目を瞠って私の肩に手を置いてきた。宥めるように頭や背中を撫でてくる彼の尻尾が忙しなく揺れている。
これまでに見たことがないほど狼狽する彼の姿がなんだか可愛らしくて、溜まり始めていた涙が引いていく。慌てながらも優しく私の目元に指を沿わせていた彼が僅かに安堵の表情を浮かべた。
この反応を見る限り、私の想定しているような展開にはならない、と思ってもいいのだろうか。
「何から話せばいいか」と口をもごもごさせるルキノさんはなかなかに珍しい。
「……以前、この身体について色々と調べている中で生殖機能の有無について気になりまして」
「はい?」
なんか思ってたのとだいぶ違う方向からボールが飛んできた。先程とは別の意味で一瞬何を言っているのか分からなかった。
「もし生殖機能が有ると仮定した場合、受精可能なのは蜥蜴と人間どちらなのか、卵生か胎生か、そして何が生まれてくるのか……それを調べるためにまず雌の蜥蜴を――」
何やらスイッチが入ってしまったらしいルキノさんがものすごい勢いで説明をしてくれている。してくれている、のだけれど、正直ほとんど頭に入ってこない。
誰か他の女の人と、でなくて良かったと思う反面、『いや何してるんですか』という気持ちもある。行動力の化身すぎる。
普通はそこが気になったとしても『じゃあトカゲを使って試してみるか』とはならないだろう。実際に彼と同じような境遇に置かれた人間がいたとしてもおそらくそこまではいかない、と思う。
「――残念ながら幾つかは孵化させるまでに至らなかったのだが……」
先日ようやく孵化に成功したのだ、と語るルキノさんの目は爛々と輝いている。私は未だにどういう顔をすればいいのか分からずにいるというのに、何ですかそのめちゃくちゃ楽しそうな顔は。私はルキノさんのそういう少年のようなところにすこぶる弱いんですよ知ってますか。
言葉に迷う私の様子を窺うようにこちらへ目を向けたルキノさんが、「……それで、」と口を開く。
「彼等も大分安定してきたから、キミさえ良ければ会ってみないかと」
「はぇ……」
突然の提案にまた言葉が飛んでいってしまった。怒涛の展開すぎて私の頭ではついていけない。
……正直、気になるか気にならないかで言われたら気になるに決まっている。ルキノさんの遺伝子を持ったトカゲちゃんなんて可愛くないはずがない。まだどんな姿で生まれてきたのかは分からないけれど。
どこか落ち着かない様子のルキノさんをちらりと見て、悩みに悩んだ末に小さく頷けば、彼はぱっと表情を明るくさせた。今日の彼は随分と表情豊かである。
「有難う。それじゃあ、連れてくるから少し待っていてくれ」
そう言って部屋を出て行った彼は数分も経たずに戻って来た。いや、早い。もう少し心の準備をさせてほしかった。
持っていた大きめのケースを机に置いて、ルキノさんが手招きをする。意を決して近付きその中身に目を向けると、つぶらな瞳がこちらに向けられていた。
「……か、かわいい……」
思わず漏れ出た声に、ルキノさんがそうでしょうと言いたげな顔で頷いた。
手のひらより少し大きいくらいの彼等は、普通のトカゲとは骨格が少し違うけれど、ミニちゃんほどルキノさんに似ているかと言われるとそうでもない。なんというか、トカゲ成分が強めである。髪の毛も生えていない。
触ってみるかと問われ、少し考えた後に頷いた。
突然触られたらびっくりしてしまうかと思い、静かに手を近付けてそのまま顔の横で静止させる。何かを確かめるように手の周りをうろうろしたり鼻先で指に触れたりする様子はとてもかわいい。暫くすると、危険は無いと判断したのか頬をすりよせるような仕草を見せてくれた。
そっと指先で頭を撫でれば気持ちよさそうに目が細まり、尻尾がゆらりと揺れる。かわいい。既に大分めろめろになっている。
「見た目は蜥蜴に近いが、普通の蜥蜴よりも知能が高いようでね。現時点でもある程度こちらの話していることを理解しているようだし、成長すればより正確な意思疎通も可能となるでしょう」
「なるほど……さすがルキノさんの遺伝子を持つ子達ですね……」
見た目に少し差はあれどこの子達もルキノさんのように賢くかわいくかっこよく育っていくのかと思うと、とても楽しみな気持ちになる。
「子供かあ……」
正直全然考えたことはなかったし、そもそも状況的に色々と無理があると思っていたけれど、こうして見るとやっぱりこう、なんていうか、少し羨ましいというか。……人間の女の人でないだけ良かったとは思いながらも、未だ複雑な気持ちではあるのだ。
じゃれつくように指先を甘噛みしてくるのに頬をゆるめつつ、静かにルキノさんを見上げる。
「……ルキノさん」
「ウン?」
「……人間では、実験しないんですか」
一瞬、彼の周りを流れる時間だけが止まったのかと思った。僅かに見開かれた目は瞬きをすることもなく、尻尾の先まで全く動かずに固まっている。
そんな彼の様子を見て、ようやく私は今自分がとんでもないことを口走ったことに気が付いた。
「っ……! や、あ、あの、ちが、待って、ごめんなさい何でもないんです気にしないでください……!」
真っ赤になっているであろう顔を手で覆って羞恥に悶えていると、ゆっくりと動き出した彼が子供達の入ったケースを持って部屋を出て行ってしまう。どうしよう、突然何を言い出すんだと思われたに違いない。これから距離を置こうとか言われたら泣いてしまう。どうしよう。
「すまない、子供達には少々刺激が強い話になると思いまして」
先程よりも若干早く戻ってきた彼は、私を抱き上げたかと思うとそのままソファーへと足を進めて、そのまま腰を下ろした。至近距離で見つめられ、気恥ずかしさでつい俯いてしまう。
「ひ、引いた、とかじゃなくて……?」
「そんなことある訳がないでしょう。キミの方からあんな言葉が出てくるとは思わなかったから、少し驚いてしまったんだ。すまない」
手の甲を優しく撫でた指が、するりと私の指に絡む。頭の天辺に軽く何かが触れた感触がした。
「……私は基本的に自身の知的好奇心を満たす為に他者を利用するような真似はしない……ようにしている。それに、これに関しては身体や精神への負担が余りにも大きいだろうから、実際に検証することは考えていなかった」
絡んだままの彼の指先が、ゆっくりと手のひらの上をなぞるように往復する。足首には尻尾がゆるく巻き付き、全身がルキノさんに包まれているかのような錯覚に陥ってしまう。
少しずつ、けれど確かに熱を帯び始めた彼の声に、私の心臓は激しく鼓動を打ち鳴らしている。もう片方の手でお腹を撫でられ、体の奥がきゅんとなった。
彼に触れられている部分が、どうしようもなく熱い。
「だが……キミが良いと言うのなら――」
――私の子を、生んでくれるか。
そんな甘い声を聞きながら、はっと目を覚ました。心臓の音は相変わらずうるさいし彼に触れられていた所の感触は生々しく残っているけれど、ベッドの上には私しかいない。
思わずがばりと体を起こして無意味に周囲を見回し、深くため息をついた。
「……ですよねえ……」
夢。夢だった。なんて夢を見ているんだ。
……いや、おかしいとは思ったのだ。本物のルキノさんならああ言われたところで簡単に了承することはないはず……だと、思う……多分……。
しかし、どうして途中で起きてしまったのだろう。どうせあんな夢を見るなら最後まで堪能したかっ――じゃなくて。確かにちょっともったいないなって思わないこともないけれど、そうじゃなくて。
あんな夢を見るなんて、どうかしている。何を考えているんだと私の脳を問い詰めたい。
起きたばかりなのに疲労感がすごい。もう一度息を吐いて、ベッドに沈み込む。このまま二度寝をしてしまおうか、と考えると同時に部屋に入ってきたルキノさんと目が合った。
夢のことを思い出して、顔に熱が集まる。
「おはよう。起きていたんですね」
「ぁ、お、おはようございます……今起きました……」
ルキノさんがベッドに腰掛けて私の頭を撫でてきた。どこか申し訳なさそうな顔をしている。
「……やはり、疲れが取れていないようだ」
頬に指を滑らせながらそう口にする彼に、やはりとはどういうことだと首を傾げる。……少し考えて、昨晩のことを思い出し、散りつつあった顔の熱が再び集合し始めた。
昨日は、こう、ちょっと盛り上がってしまったというか、ルキノさんもいつもより、何というか、凄かったというか……だからあんな夢を見たのでは? そうだ、きっとそうに違いない。何がどうして子供云々という話になったのかは分からないけれど。
「少し無理をさせてしまいましたね」
すまない、と謝るルキノさんに勢いよく首を振る。彼は何も悪くない。昨日のことに関しては、ルキノさんは私の要求に応えてくれただけだし、悪いのは全て私である。
「だ、大丈夫です。気にしないでください。疲れたように見えるのは、多分、その、ちょっと変な夢を見たせいで……」
「夢?」
「はい……ルキノさんに突然『私には子供がいるんだ』って打ち明けられる夢、で――」
「ほう」
やらかした。彼には内容を言うべきでないと思っていたのに。自分の中だけに留めておくには衝撃的な内容だったせいか、つい口が滑ってしまった。
案の定、ルキノさんの顔は好奇心を刺激された時のそれになっている。こうなってはもう誤魔化すことはかなわないだろう。
「詳細を聞いても?」という彼のお願いを断れるわけもなく。頷きながら、最後のあれだけは絶対に言わないようにしようと心に決めた。
2022.07.04
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