Sono tuo



 扉の前でそわそわと向こう側の様子を伺うは、ルキノの「もういいですよ」という言葉を聞いた瞬間に待ちきれないといった様子で――しかしあくまで動作は落ち着いて見えるように抑えながら――扉を開いた。部屋に足を踏み入れ、まだ彼の方には視線を向けず、静かに扉を閉める。
 覚悟を決めたような表情でひとつ息を吸ってルキノを視界に入れたが、思わず口元を手で覆った。
「か、かっこいい…………」
「……少し大袈裟だといつも思うのだがね。まァ、キミにそう言ってもらえるのは嬉しいですよ。ありがとう」
 彼女の様子にどこか呆れの色を浮かべつつ、ルキノは僅かに目元をゆるめた。
 二人が現在行っているのは、半ば恒例行事と化している『新衣装のお披露目』である。開催場所は今回のようにどちらかの部屋であったり、カスタム戦を用いたマップ各種であったりと様々だ。
 眼鏡を軽く指で押し上げるルキノを、は熱のこもった目で見つめる。眼鏡に白手袋、手袋と袖の隙間から覗く手首、開放的な胸元――と視線を滑らせ、彼女はいけないいけないと首を振った。視線に少し、いや、結構な割合で邪な感情が混じってしまっている。
 いやでもこの衣装は、と、自身の下心と戦いながら、は「今回のコンセプトは何なんですか?」とルキノに尋ねた。
 同時期に複数のハンター及びサバイバーに支給・販売される衣装には、共通のコンセプトが存在している場合がほとんどである。例えば、その設定に合わせてデザインが揃えてあるものや、物語の登場人物になぞらえてデザインされているもの、といった具合だ。ちなみに、現在ルキノが身に纏っている衣装は前者である。
「今回は『執事』と『吸血鬼』らしいですよ」
「執事、って……あの執事ですか?」
「『あの』というのがどういったものを指しているのかは分かりかねるが……キミの想像しているもので間違いないかと」
 頷いたルキノをもう一度上から下まで観察したが、「いやいや」と首を振る。
「そんなえっ――ごほん、ゆるんだ服装の執事なんてなかなかいないと思うんですけど……その……胸元とか……」
 ちらりと視線をそこに向けるも、いけないものを見ているような気持ちになってはすぐに目を逸らした。胸元の開放具合は普段とさして変わらないし、これよりも露出している衣装だってあるというのに、今のルキノの姿はどうにも刺激が強い。全体的な雰囲気がそう思わせるのだろうか、と、は頭の冷静な部分で考える。
 そんな彼女に、ルキノはふむと顎を撫でた。
「これは、あー……そうだな、主人を立てる為の服装なんですよ」
「ええ……? 本当ですか……?」
「ああ、本当だとも。執事が主人よりも目立ってしまったら、主人の立場が無いでしょう?」
 訝しげな顔をするに、ルキノは言葉を重ねる。
 は執事がどういったものなのかということはあまり知らないが、確かに、彼の言っていることは間違ってはいないのだろう。『でもその格好だとそれはそれで目立ちそうな気がしますけど』という言葉は飲み下し、彼女はあまり納得のいっていなさそうな顔のまま頷いた。
「あとは、上までボタンを留めるとどうにも窮屈でね」
「絶対そっちが本音じゃないですか」
 間髪入れずに返したにルキノは「否定はできないな」と軽く笑う。
 まったくもう、と息を吐き出したは、そこで彼の足に目を留めた。普段は靴を履いていない――履けない、と言った方が正しいか――彼であるが、現在は人間用の靴を違和感なく履きこなしていた。どうやら脚の形状が変わっているようで、それはまるで『普通の人間』のようであった。
「ルキノさん、その足って……」
「あァ、これか。私としては『普段』のままで構わなかったのだがね……」
 ルキノはぱたりと爪先で床を叩く。まじまじとそれを見つめるの耳にくすりと小さな笑い声が届いて、彼女は慌てて顔を上げた。
「ご、ごめんなさい。その、こういう変化もあるんだなって思って……」
 ばつが悪そうに口をもごつかせる彼女にゆるく頭を振り、ルキノは口を開く。
「構わんよ。私も初めは同じように観察をしてしまいましたしね」
 本当に此処は何でもありだな、と呆れを含んだ表情を浮かべる彼には本当にの言動を気にした様子はなく、彼女は小さく安堵の息を吐き出した。彼は今の姿を気に入っているとは言うが、はこの話題に関してどこまで踏み込んで良いものか未だに分からないのだ。
 そんな彼女をじっと見つめたかと思うと、ルキノはその頭をそっと撫でた。突然の行動には不思議そうな顔でルキノを見上げる。首を傾げるも彼は何も言わない。柔らかな雰囲気をたたえた瞳がどうにもむずがゆく、彼女は静かに視線を下げた。
 しばらくの間そうしていたが、空気に耐えられなくなったのかが控えめにルキノの手に自分のそれを重ねる。
「あァ、すまない。髪の毛が乱れてしまったな」
 撫でるのをやめての髪を整えるルキノに、は「あ、いや、そういうわけじゃ……」と口の中で言葉を転がす。あちらこちらへ目を泳がせる彼女だったが、ふと、何かに気が付いたようにルキノの顔を見つめた。
「……ルキノさん、あの、ちょっと口を開けて――というよりは、えっと……こう、いーってしてみてくれませんか?」
「ウン? 構わないが……」
 ルキノは唐突な彼女の言葉に怪訝な顔をしつつも、言われた通りに口を動かした。一体何なのかと問おうにも、口の形を維持したままではうまく言葉を紡ぐことができない。彼女に歯を見せるような状態のまま、彼はただの動向を見守っている。
 じっと彼の口元を見つめていた彼女が、「やっぱり」と小さく言葉を零す。
 かと思えば、徐にルキノの顔に手を伸ばし、その歯に指を触れさせた。突拍子のない行動に思わずルキノが肩を揺らす。
「この辺、いつもよりちょっと鋭くなってますね。吸血鬼っていう設定だからですかね……?」
「……キミねェ……」
 物言いたげな顔で息を吐き出したルキノはの手首をやんわりと掴む。
「断りもなく――いや、そういう以前の問題だが……唐突に異性の口に指を突っ込んでくるのは如何なものかと思いますよ」
「つ、突っ込むまではしてませんよ! ……でも、いきなり触ってごめんなさい……」
 若干顔を赤らめてルキノの言葉を否定するだったが、さすがに自身でもよろしくないとは思ったのか素顔に謝罪の言葉を口にした。彼女の照れるポイントはよく分からないなと頭の隅で考えながら、ルキノはの手首に回していた指を滑らせるように彼女のそれと絡ませる。
 そのまま彼が指先にくちづけると、の頬の赤みが増した。
「る、ルキノさん……」
 思わず手を引こうとするもそれはかなわず、ルキノの口が触れる度には肩を小さく揺らす。その様子に彼は小さく喉を鳴らして笑った。
「……先程のキミの行動の方が余程大胆だったと思うがね。まァ、好奇心が先走ってしまうというのは私にも覚えがあるし……あまり咎める訳にもいくまい」
 そう言うと、ルキノはあっさりと彼女の手を解放する。は目を丸くしてルキノと自分の手とを交互に見たあと、「からかわないでくださいよ」と未だ色づいている頬を小さく膨らませた。
 ふ、と口元をゆるめたルキノが膨らんだ頬を指でなぞる。
「軽々しく異性にああいった事をしないように、という忠言ですよ。場合によってはこの程度では済まないかもしれない」
「……ルキノさん以外にあんなことしません」
 言外に『誰にでもああいう事をするのだろう』と言われているようで、は僅かに眉根を寄せた。確かに軽率ではあったが、相手が彼でなければ彼女も先程のような行動は起こさなかっただろう。気を許している恋人であるという前提があっての行為である。
 実際に彼がどういう意図を持って言ったのかはには分からなかったが、自分はそんなに信用が無いのだろうかと悲しい気持ちになって目を伏せた。
 何かを言おうとするもうまく言葉にならず、声を飲み込む。そんなの頬を再び彼の指が撫で、顎に触れたかと思うと、軽くそこを持ち上げた。
「キミは何か勘違いをしているな」
 どこか呆れたような、そしてほんの少しだけすまなそうな表情をした彼に、は目を瞬かせる。
 彼の言葉をうまく飲み込めずにいる彼女の額や瞼、頬に、ルキノがくちづけを落としていく。突然降ってきたキスの雨にしばらくの間固まっていた彼女だったが、唇の横に触れられた辺りでようやく意識を呼び戻すことに成功した。
 慌てた様子の彼女の顔を両手で包み込んで、ルキノは互いの額を合わせる。その距離の近さには小さく息を飲み込んだ。焦点が合わずとも彼の瞳が自身を見つめていることがわかる。眼鏡のチェーンが発した音がいやに大きく聞こえ、思わず肩が跳ねそうになった。
「あまり私を信用し過ぎないでくれ、という意味だったのですがね」
 静かに吐き出された言葉で、はようやく彼が言わんとしていたことを理解した。顔に熱が集まってくるのを感じながら視線を彷徨わせる。しばらくそうしていたかと思うと、彼女はきゅっと目を閉じて顎を持ち上げた。
 音もなく重なった唇が、数秒と経たずに離れる。
「……私は……ルキノさんになら、何をされたって……」
 いいのに、という最後の声はそのほとんどがの口の中で消えてしまった。しかしこの距離の近さではさすがに聞き逃す方が難しい。ルキノの耳にしっかり届いたその言葉に、彼は頭に浮かんだ数々の言葉をどうにかぐっと押し込んで、一言だけを吐き出した。
「仕方のない子だ」
 火照った頬を愛おしげに撫で、ルキノはが何かを言う前にその口を塞いだ。
 押し付けるだけのキスを何度も繰り返し、時折唇を軽く食む。彼女が小さく声をこぼした隙に舌を滑り込ませ、長いそれを彼女のものに巻き付かせるように絡ませる。
「ん、んっ、……、っ……」
 頬を包んでいたはずの手の片方が後頭部へ回りがっちりと固定され、にはそれが『逃さない』と言われているように思えた。上顎をくすぐるようになぞられたの腰がびくりと跳ねる。
 舌先を吸われたかと思えばやわく歯が立てられる。ルキノが何かしらの刺激を与える度には身体を震わせ、既に彼の服にしがみつくことしかできていない。今にも崩れ落ちそうな彼女に気が付いたルキノはようやく彼女から顔を離し、その腰を支えた。
 離れていくルキノを無意識に追いかけるようにの舌が控えめに伸ばされ、それを目にした彼は衝動的にもう一度くちづけようとしたのを既のところで踏み留まった。
「る、きのさん……」
 は最早彼の支えなしには立っていられず、とろけきった瞳で彼を見つめる。上気した頬にひとつキスをして、ルキノは彼女を抱き上げた。
「ずっと立ったままで疲れたでしょう。すまない、気が回っていなかった」
 ゆったりとした足取りでソファーへと向かうルキノの腕の中で、が「あの」と小さく声を発する。その音を拾い上げたルキノが足を止めて彼女を見下ろした。
「どうかしたかね?」
「……その……えっ、と、」
 彼のネクタイをもじもじと手で弄びながら言葉を濁す彼女に、ルキノは首を傾げる。ややあって、何かに気が付いたような顔でくすりと息を零した彼が俯くの頭に顔を寄せた。
 ちゅ、と小さな音を立ててつむじにくちづけると、ぱっと彼女が顔を上げた。揺れる瞳の奥には隠し切れない期待がちらついている。
「『こちら』の方が良かったかな?」
 目を細めて笑った彼は、先程までと進行方向を変えてまたゆっくりと歩き出す。ルキノが足を進める先に視線を向けたは彼の胸に赤く染まった頬をすりよせ、静かに頷いた。





2021.10.23



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