アクシデントとよくある話



『プレイヤー』夢主の話です。
倫理観のないモブプレイヤーが出ます。





 気が付けば、目を丸くしたルキノさんが私の前に立っていた。
 ――あれ、おかしいな。私たちはこれから『ゲーム』を始めるところだったはずなのだけれど。
「……いつの間にかシステムが変わった……とかじゃ、ないですよね……?」
「いや……そういった通達は無かったはずだが……」
 お互いに顔を見合わせて首を傾げる。本来であればこの『ゲーム』が行われるステージに『プレイヤー』である私は存在しない。――はず、なのだ。
 ぺたぺたと顔や体を触って、ついでに頬を軽くつねってみる。痛い。夢ではなさそうだ。五感はしっかり機能しているけれど、おそらくルキノさんと同じで仮の肉体なのではないかと思う。……思いたい、というのが正しいかもしれない。
「うーん……? プレイヤーも実際に走り回って追いかけっこしろみたいな……?」
「さすがにそれは無茶だろう……何か不具合が生じていると考えるのが自然でしょうね」
 溜め息をついたルキノさんがやれやれと首を振る。色々とバグに見舞われることはあれどこんなのは初めてで、私も彼もどうしたものかと頭を悩ませることしかできない。
 とりあえずこんな状態で普通にゲームを続けるわけにもいかず、サバイバー側が出て行ってくれるか投降できるようになるまでこの状態の仕様を検証してみようということになった。
「んー、いつもみたいに私の方で意識してスキルを使ってもらうこともできるみたいですけど……なんかちょっと感覚が違う気がしますね」
「フム……普段より私の意思が反映されている、というところか。そういう仕様なのか我々の意識の問題なのかは定かではないが……」
「監視者植えちゃお」
「キミねェ……」
 ルキノさんは呆れた顔をしながらも監視者を取り出して地面に設置している。これもなんとなくルキノさんが拒否しようと思えばできそうな気がするけれど、そうしないで従ってくれる辺り彼は優しいと思う。
 その後も色々と試してみて、私たちは一定距離以上離れることができないということや感覚の共有はされていないということが判明した。
 行動範囲についてはどうやら私主体のようで、私がルキノさんから離れようとしてもルキノさんの意思に関係なく足が動いてしまうとのことだった。逆にルキノさんが私と距離を置こうとしてもある程度のところで見えない壁のようなものに阻まれて進めなくなるらしい。なんとも不思議である。
「それにしても、解読進みませんねえ」
「大方、サバイバー側も困惑しているんでしょう。まァもう少しで投降ができるようになるし――ウン?」
 不意に耳鳴りがし始めたかと思うと、烏の鳴き声と共に誰かが言い争うような声が近付いてきた。サバイバーの誰かとその相方のプレイヤーだろうけど、あまり穏やかな雰囲気ではない。
「こんなことをしている場合ではないだろう! これが不具合なのは分かりきっているんだ、早く解読を終わらせて出て行くのが――」
「うるせぇなあ……解読だけしてても大したポイント入んねぇだろうが。少しでも稼げるとこで稼いで何が悪いんだよ」
「っ、だからといって……!」
 離れているのにぴりぴりとした雰囲気を感じる。近付いてくる気配に、ルキノさんが武器を手にして私を背中に隠すように立った。
「お、いたいた」
 そんな声を発しながら現れたのは、軽薄そうな少年である。その後ろには苦い表情を浮かべた空軍――マーサちゃんがいた。
 うっすらと抱いていた嫌な予感が、確信に変わりつつある。思わずルキノさんの服の裾を引けば、彼はちらりとこちらを見下ろして『大丈夫だ』と言うように頷いた。
「……サバイバー側のキミたちが、解読もせず何をしに?」
「いや?、こんなことになってお互い大変だろ? だからそっちにも多少ポイントくれてやろうと思ってさ」
「必要ないな。元々、私たちは報酬に然程頓着していないものでね」
 にやにやと笑いながら言葉を重ねる少年に、ルキノさんは淡々と対応している。それを聞いた少年の表情がすっと冷めて、「あっそ」というつまらなさそうな声と、マーサちゃんの焦ったような声が重なった。
「ルキノさんっ!」
 がちゃり、という金属の音が耳に入った瞬間、考える前に彼の後ろから飛び出していた。不意を突いたとはいえルキノさんにも反応させないなんて、私はなかなかのポテンシャルを秘めているのかもしれない。
 「やめて、」という泣きそうな声が聞こえると同時に、経験したことのない衝撃が体を襲った。
「ッ……!」
全身が痛くて、息ができない。苦しい。いつも共有されていた痛みはこれより相当マシだったのに、ルキノさんはいつもこんな思いをしていたのだろうか。滅多に使うことはないけれど、今度からスタン系のサバイバーがいるときは興奮を積んでいくことも視野に入れた方がいいかもしれない。
 ぐるぐる、ぐるぐる。耐え難い苦痛に頭が状況の理解を拒んでいるのか、そんなどうでもいいことばかり浮かんでは消えていく。どのくらい経ったのか、ようやく息を吐き出すことができた。
「っげほ、……っ、ぅえ……」
 生身じゃなくてよかった。吐きたくても吐くものがないから、支えてくれているルキノさんを汚してしまうこともない。
「ッ……サン、」
 やだ、ルキノさん、そんな顔しないで。私が勝手にしたことなんだから。
 そう言いたくてもまだうまく声が出なくて、痛む腕を彼の頬に伸ばせばその表情は一層歪む。ゲームが終わればきっと何事も無かったかのようにぴんぴんしてるだろうし、あまり気に病まないでほしいのだけれど。でも、そんな優しいところが好き。
「はあ? 何してくれてんだよ、ポイント入んなかったじゃねぇか」
 耳に届いた声の方へ視線を動かすと、鬱陶しげな顔で舌打ちをする少年が目に入った。
「はー、意味わかんねぇ。こいつらなんか所詮データだろ? お前頭おかしいんじゃ――」
 突然、目の前から彼の姿が消えた。見えなくなった、と言った方が正しい気もする。少年の声は大きな音にかき消され、突如として舞い上がった土煙で状況がまるで分からないのだ。
 ところで、ついさっきまで私の体を支えてくれていたルキノさんの姿がない。――ということは、と考えたところで、土煙の中から怒鳴り声が聞こえて、思わず勢いよく体を起こす。さすが仮想世界と言うべきか、まだ少し痛むけれど動けないほどではなかった。
「っクソ! 離せ! 『プレイヤー』に手ぇ出していいと思ってんのか!?」
「自身のした事も忘れて喚き散らすとは、随分と出来の良い頭だな」
「ソイツが勝手に飛び出して来ただけだろうが! それに実際やったのは俺じゃ――ぅぐッ……!」
 少しずつ視界が晴れていく。少年にのしかかるようにしてその首を押さえつけているルキノさんが目に飛び込んできて血の気が引いた。
 少年は足をばたつかせ、身をよじって拘束から抜け出そうとしているようだけれど、ルキノさんはびくともしない。それはそうだろう、私たち人間とハンターとでは体格も力も違いすぎる。
 だからこそ、一歩間違えば少年の首をへし折ってしまいそうな今の状況はとても心臓に悪い。
「る、ルキノさん、私なら大丈夫ですから、あの、」
「キミが良くても、私の気が済まない」
「でっ、でも、さすがに、えっと……」
「っ、お、おい! ぐだぐだ言ってねぇでさっさとコイツなんとかしろよ!」
 ああもう、うるさいな。人が折角穏便に済ませられるようにしているというのに、自分の置かれている状況も把握できないのか。
 私は聖人ではないから正直彼がどうなろうと知ったところではないけれど、不必要に人を傷付けるなんてことをルキノさんにしてほしくはないのだ。だから、これ以上彼を煽るようなことを言わないでほしい。
 無駄だというのに未だもがき続ける彼は「クソッ!」と忌々しげに吐き捨てる。
「この化け物がっ……!」
 飛び出したその言葉に、頭の中が真っ白になった。人間というものは怒りが一定の基準を超えると何も言葉が出てこなくなるらしい。
 言いたいことが何も纏まらずただ拳を震わせるだけの私とは違い、ルキノさんは冷たく彼を見下ろしてその手に力を込めた。少年の声が呻き声に変わる。
「生憎、その手の言葉は聞き飽きているものでね。今更どうとも思わんが――」
 ゆっくりと、ルキノさんが右手を上げていく。
「どうやら、貴様は一度痛い目を見ないと自分の愚かさが分からんようだ」
 ぎらり、と、彼の握るナイフが鈍く光る。だめ、だめだ。そんなこと。
 少年の顔めがけて、彼の手が勢いよく振り下ろされる。
「ルキノさん、だめっ……!!」
 思わず叫んだのと同時に、およそナイフを突き立てただけではしないような大きな音が聞こえた。
 へたり込みそうになる脚を叱咤して、ゆっくりと二人の方へ近付く。
 例えどんな光景になっていようと、目を逸らすわけにはいかない。私が原因を作ったようなものなのだから。そう自分に言い聞かせて、おそるおそるルキノさんの背中から顔を出す。
「……あ、」
 少年の顔は見るも無惨に――なんてことはなく、彼は頬に一筋の切り傷を付けて気を失っていた。その真横、地面に深々と突き刺さったルキノさんのナイフに、今度こそ脚の力が抜けてその場に座り込む。
「よ、かった……」
「いくら仮の器とはいえ、殺すわけにはいかないでしょう。きちんと『元に戻る』かも不明であるし……キミが傷付く顔は見たくないのでね」
 ルキノさんが私の頭に手を乗せて、軽く撫でてくる。柔らかく細められた目には怒りの色はない。私のせいで優しい彼の手を汚すようなことにならなくてよかったと心底思う。
 本当はルキノさんを化け物呼ばわりした彼を殴ってやりたい気持ちもあるけれど、さすがに気を失っている相手をどうこうするのは気が引ける。何より、そんなことをしてもルキノさんは喜ばない。
「……あ、通電……」
 ようやく、ステージ全体に通電を知らせるブザーの音が鳴り響いた。これで、サバイバーたちがゲートから出て行けばゲームは終わりだ。
 ――そこではたと気が付いて、未だ真っ青な顔で座り込んでいるマーサちゃんに目を向けた。そうだ、彼が動かないと彼女もここから動けないのだった。
「マーサちゃん」
「っ、あ……」
 近寄って声をかければ、彼女は今にも零れ落ちそうな涙を堪えて何度も謝ってきた。ううん、いい子だ。最初の会話の様子ではうちの荘園にいるマーサちゃんとあまり変わらない印象を受けたけれど、今の彼女は歳相応の少女に見える。
 私たちの場合はルキノさんの方でスキルを拒むこともできたが、やはりその辺りは個人差があるのだろう。彼女を責めるつもりは私にも、おそらくルキノさんにもない。
 気にしないでと言っても頑なに『自分を吊ってくれ』と言って引かない彼女に、どうしようとルキノさんを見上げる。
「……私には無抵抗の者を傷付ける趣味はない。とはいえ、『プレイヤー』がこれではどうしようもないし……こちらから終わらせるしかあるまい」
 そう言って私の方に目を向けるルキノさんに、私はようやく投降というシステムの存在を思い出した。よくよく考えてみれば銃を向けられた頃にはもう投降できたはずなのに。ああもう、私の馬鹿。
 次はお互いまともにゲームができるといいね、とマーサちゃんに手を振って、すぐに投降処理を行う。
 一度意識が途切れ、目を開けた時には心配そうな顔でこちらを覗き込むルキノさんがいた。近すぎてちょっと心臓が跳ねた。
「どこか体に異常はないかね? 痛みは?」
「んー……大丈夫みたいです」
 珍しく落ち着かない様子のルキノさんに口元がゆるみそうになるのを堪えながらそう返せば、彼は安心したというように息を吐き出した。
「あのプレイヤーは、通報してブラックリストに加えておきましょう。まァ、通報したところで何がどうなるとも思わんが……」
 苦い顔でそう言ったルキノさんに、思わずつられて苦笑する。たしかに、余程のことがないと通報されたプレイヤーがペナルティを受けるということはない。結局は気休め程度のものなのだ。特に今回は不具合の中での出来事だから、余計に難しいのではないかと思う。
 しかし、バグについては放ってはおけないし、ナイチンゲールさんに報告しに行くべきだろう。ルキノさんもそれは同じ意見のようだった。
「念の為、報告は少し休んでから行くとしよう」
「大丈夫なのに」
「万が一ということがあるでしょう」
 ルキノさんは呆れたような顔をしているけれど、これが心配からきているということは考えなくても分かる。元はと言えば私がさっさと投降をしなかったのが悪いので大人しく彼の言うことを聞いて、報告へは休んでから行くことにした。
「あァそうだ、ココアでも淹れましょうか」
 その言葉に大袈裟に喜んで見せれば、ルキノさんはおかしそうに笑って私の頭を撫でた。





2021.01.24



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