何でもない日を君と



 普段のゲームとは少しだけ仕様が違う、比較的自由度の高いゲームは俗に『カスタム戦』と呼ばれている。カスタム戦は報酬の類が発生しない代わりに好きなステージを選択できたり参加人数を減らすことができたりする。特にペナルティも存在しないため、練習を目的として利用している者も少なくない。
 ただでさえ陣営間の交流が簡単にできるというのに、こんなものまであるのならばサバイバーとハンターに面識があろうとわざわざ記憶を弄るようなことをする意味はないのではないか、と思ってしまうのは仕方のないことである。解決したことをいつまでも引きずるつもりはないとは思いつつも、ルキノにはやはりどこか腑に落ちないものがあった。
 いつも訪れているのとは異なる待機場所へと繋がる扉に胡乱げな視線を向け、小さく息を吐く。結局、ルキノの記憶が消された理由は明らかになっていない。あの後彼はナイチンゲールを通じて荘園の主に『基本的にゲームの手は抜かないからこのままにしておいてくれ』と伝えたのだが、そのお陰なのか初めからそのつもりだったのか、少し経った今も再び記憶が消されることはなくこれまで通りの日々を送ることができている。
 またあんな事が起きるのは勘弁してもらいたいものだ、などと考えていたルキノは、ぱたぱたと忙しない足音が近付いてきていることに気が付きそちらへ目を向けた。
「おはようございます教授! すみません、お待たせしちゃいましたか……?」
「おはよう、クン。まだ約束の時間にはなっていないし、私も来たばかりだ。気にすることはありませんよ」
 息を弾ませながらがルキノのもとへ駆け寄ってくる。不安そうにルキノを見上げる彼女はおそらく遠目に彼の姿を見つけて急いで来たのだろう。髪がところどころはねており、ルキノはくすりと小さく笑う。「失礼」と声をかけて彼女の少し乱れた前髪を整えてやると、彼女は照れたような表情で礼を返した。
「それならよかったです。一応部屋は早めに出たんですけど、またちょっと迷っちゃって……私がお願いしたのに遅刻なんて、って焦ってました」
 彼女の言葉通り、今日ルキノがこの場所にいるのは先日と約束をしたからだった。あれから毎日のように顔を合わせて話をしている二人だが、その中で彼女が『自分がゲームに参加していると高確率で引き分け以下になっている』と溜め息混じりにこぼしたのである。それならば、とルキノが提案したのがカスタム戦での練習だ。まず彼女に必要なのは各ステージの詳細把握と最低限のチェイス能力だろうとルキノは考えた。立ち回りに関しては他のサバイバーに少しずつ教えてもらえば良い。
 一度に何もかもを教えることは不可能であるため、ひとまず今日はいくつかのステージを散策して暗号機やゲート、ハッチの場所を覚えることを目的としている。ついでに手を付けない方が良い暗号機や見つかった時に逃げるべき場所を教えてやれば良いだろう。
 何故自分の時間を割いてまで自陣営が不利になるようなことをサバイバーに教えるのか、と『ハンター』である自分がぼやくのは聞こえないふりをした。ゲームこそ手を抜かずにやるとは言ったが、『助手』のが悩んでいるのを知らぬ顔で見ていることなど、ルキノにはできなかったのだ。
「私は今日これ以外に予定もない。少しくらい遅れたところで気にはせんよ」
 そう返すルキノの声に、彼女は「あんまり甘やかさないでください」と苦笑する。小さく揺れるの頭で髪飾りが涼やかな音を立てたのが耳に入り、彼は先程から気になっていたことを告げるべく口を開いた。
「……ところで、今日の格好はいつもと随分雰囲気が違いますね。華やかで実に可愛らしい。とても似合っていますよ」
「えっ、あ、ありがとうございます……ここに来た時、服とかアクセサリーとかを一式戴いたんですけど、着る機会がなくて。今日は走り回るわけじゃないし、それに――」
 突然褒められて驚いた様子で、は流した髪の毛先を指先で弄ぶ。普段は単色である彼女の髪だが、今日は毛先が鮮やかに染まりグラデーションがかかっていた。
「教授とこうしてお散歩するのも久し振りなので、ちょっとおめかしのつもりで……なんて、やっぱり浮かれ過ぎですかね」
 はにかみながら軽くスカートを持ち上げてみせる彼女に、ルキノは柔らかく目を細めた。自分に見せる為に普段は着ないような服を着てきたのだと、言外にそう言われて嬉しくない男などいないだろう。も随分と可愛らしいことをしてくれるものだ。
「そんなことはない。それだけ今日を楽しみにしてくれていたのでしょう? キミの装いからそれを感じることができて、私は嬉しいですよ。そのような格好をしているキミは初めて見るが、クンの魅力的な一面を新たに知ることができたのは非常に喜ばしい。髪の色も美しいし、髪型も随分と手が込んでいる。こんなに可憐なキミを独り占めできるのは役得だが、罰が当たらないか心配になってしまうな」
「……昔から思ってたんですけど……教授って結構手放しで褒めてくれるというか、ストレートに恥ずかしいこと言いますよね……」
「ウン? 思ったことを言っているだけだが……」
 初めは照れつつも嬉しそうにルキノの言葉を受け止めていただが彼が言葉を重ねる度にその頬が染まっていき、最終的には耳まで真っ赤になってしまっていた。落ち着きなく視線を彷徨わせ、やり場のない感情を吐き出しきれない手は服を掴んで放してを繰り返している。照れと呆れが混ざったような色を乗せた彼女の言葉にルキノは小さく首を傾げてみせた。そんな彼に物言いたげな目を向けた彼女は、「そういうところも教授のいいところだとは思いますけど」と息を吐く。
 確かに、ルキノは好ましいと思ったことを隠すことはほとんどしない。褒めるところはしっかりと褒めるべきだというのが彼の考えである。しかし、こと彼女に対してはその判定が緩くなっているということはルキノ自身も自覚はしていた。彼女のくるくる変わる表情は見ていて楽しく、つい言葉が口をついて出てしまうのだ。本人に言えば気を悪くするだろうし、何より趣味が良いとは言い難いためそんな言い訳は心の内に仕舞っているが。
「そ、それじゃあ行きましょう教授! ね!」
「そうですね。時間はいくらあっても足りませんから」
 話の流れを変えたそうにしている彼女の言葉に頷いて、目の前の扉を開いた。先に中へ入ったが部屋の中央に置かれたテーブルに近寄り、そこに乗った端末を興味深そうに眺めている。
「すごい、これで色々選べるんだ……こんな機械見たことない……」
 は目の前のそれを指でつついたりボタンを押してみたり、感心しきりといった様子だ。自分が初めてここに訪れた時のことを思い出し、ルキノは思わず口元をゆるめた。専門外のことだろうと未知の物を前にしたら気になってしまうのは彼女も同じらしい。
「ゲーム自体もだしこの服に関してもそうなんですけど、ここって不思議なことばかりですよね」
「そうですね……思考停止で物事を受け入れるなど愚者のすることだとは思うが、こればかりは正直私もお手上げですよ」
 息を吐きながら彼女の横に並ぶ。本当に、この場所には謎が多過ぎる。彼女も興味を示していたが、この端末ひとつにしてもそうだ。電子機器のことなどルキノにはまるで解らないが、それでも異常と言っても過言ではない程高度な技術がこれに使われていることくらいは理解している。
普段から機械を弄っているバルクならばこれの仕組みや原理についても理解できるのだろうか。むしろこういった類の物を管理しているのは彼だと言われても納得できる。何せ、ボンボン――バルクは頑なに『26号』と呼べと言っているが――を作り出した彼だ。自分で考えて動き喋る機械人形に比べれば、おそらく目の前にある端末の方が作製するのは容易だろう。容易とはいってもそれはあくまで相対的な表現であり、常人には到底不可能な次元のものなのだろうが。
 そんな事を考えているルキノの隣では、ステージ選択の画面を表示させたが「うーん……」と唸っている。どうやらどのステージにするかを悩んでいるようだ。
「そういえば、まだどこにするかは決めていませんでしたね。クンは優先的に覚えたい場所はありますか?」
「えぇと、とりあえずそんなに広くないところがいいんじゃないかなとは思うんですけど……この黄金の石窟っていうのが気になるんですよね。どういうステージなんだろう……黄金って言うくらいだから、全体的にきらきらした洞窟……? それともただの比喩表現……?」
「……そうきたか……いや、そうだな。キミは鉱物の類も好きでしたね……」
 一番彼女との相性が悪そうなステージを挙げられ、ルキノはつい頬が引き攣りそうになった。確かにあのステージは美しい部分もあり、彼女が聞けば間違いなく食いつくであろう謎の生物を見ることもできる。あれが実際に生きているものなのかは怪しいところではあるが。
 しかし、そうは言っても最初にあそこを選択するのは色々と問題があるだろう。一つの階層だけを見ればそこまで広いわけではないが、地上にはこれといった目印がなく同じような景色が多いためまず地形を覚えるのが難しい。その上ステージ全体が三階層に分かれており、階を移動するには特定の場所にある梯子を使わなければならない。一応レールを辿れば階の移動はできるが、かなりの時間を無駄にしてしまう。
 難しい顔をするルキノを見て何かを察したのか、は端末を弄って別のステージを表示させた。
「なんだか私にはまだ早そうなので、大人しくこっちにしておきます」
「赤の教会か……そうですね、それが良い。あのステージにはクンが好きそうなものが沢山あるが、かなり地形が複雑でして」
 画面に映ったステージを確認して、ルキノが頷く。
「しかし、選出される可能性がある以上避けて通るわけにもいくまい。今日の最後にでも軽く見に行きますか」
「! 本当ですか!」
 ルキノの言葉には彼を見上げぱっと表情を明るくした。分かりやすく喜びを表現する彼女がなんとも可愛らしく思え、彼は小さく喉を鳴らして笑う。
「ああ、本当だとも」
 目をきらきらとさせる彼女の頭に軽く手を置きながら頷いてみせれば、彼女は「ありがとうございます!」と満面の笑みを浮かべた。そうと決まれば迅速に行動した方が良いだろう。彼女も早く始めたいようで、既にそわそわと落ち着きのない様子で端末を操作している。ステージを決定した後はどうしたらいいのかとこちらを見上げてくるにサバイバーの待機場所はあちらの扉の先だと教えると、再び礼を口にしてそちらへと向かっていった。
 今にも踊りだしそうな軽い足取りに表情をゆるめつつ、ルキノもハンターの待機場所へと足を踏み入れる。特に人格や補助特質を考えることもないのですぐに始めてもよかったのだが、ルキノは部屋に備え付けられたクローゼットに目を向けた。
 このクローゼットも謎が多く、使用者によって中に入っている衣装が変わるという訳のわからない代物だ。身に着けるだけで髪色やら何やらが変わるのも大概だが、と軽く息を吐き出しながら、ルキノはジャケットとワイシャツを脱ぎクローゼットの中の白衣を取り出した。瞬きの間に着替えが終了し、ゴーグルを装着しながら椅子に腰かける。サバイバーの待機場所に目をやると、が一人なのにも関わらず楽しそうな表情で足をぶらつかせていた。その様子にまたひとつ笑みをこぼし、ルキノも椅子横に据え付けられた準備完了の合図を送るボタンを押した。

***


「……さて」
 飛ばされたのは墓場の中。自分がこの場所からならばサバイバーはハンターからそう遠くない位置に飛ばされているはずだ。とりあえず探しに行くか、と足を踏み出したところで、ルキノは手に収まる程の大きさの機械が白衣のポケットに入っていることに気が付いた。間近で見たことはないが、おそらく通常のゲームでサバイバーたちが使っている通信機と似たものであると推測する。普段カスタム戦でマップの確認などを行う際は相手が全て『人形』だったため、こういうものが使えるとは彼も思っていなかった。これは素直に有難いな、と通信機を装着し、スイッチを入れる。微かなノイズが聞こえ始めたのを確認して、ルキノは口を開いた。
クン、聞こえるかね?」
『えっ!? 教授!?』
 これで彼女が通信機を付けていなかったらどうしようかと思ったが、杞憂だったようだ。の驚いたような声が聞こえてきたことに安堵して、歩きながら通信機の向こう側にいる彼女に言葉を掛ける。
「カスタム戦ではハンターとサバイバーの間でも言葉が通じる、というのは知っていたが、こういうものも使えるようですね。これならキミを見つけるのも簡単そうだ。自分がどの辺りにいるのかは分かりますか?」
『えっと、教会の中にある暗号機の前にいます』
「あァ、一番分かりやすいところですね。では今から行くのでそこで待っていてください」
 説明し難い場所に飛ばされている可能性もあったがそうではなかったようで安心した。ジャンプで教会の入り口に近付き、中へと足を踏み入れれば確かに教会の真ん中に彼女が立っている。物音に気が付いたがルキノの方へ目を向けた瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
「思っていたより早く合流できましたね。やはり離れたところにいても会話ができるというのは強いな……」
「え、あ、あの、教授……? その格好は……なん、えっ……?」
「ン? なに、キミが着飾ってくれているのに私が普段通りというわけにもいかないだろうと思いまして。一番クンが好きそうなものを着てきたのだが、気に入ってもらえただろうか?」
「っ……! す、すっごく、素敵です……!!」
 いつになく目を輝かせたが、感嘆の声を上げながらルキノの身体を観察し始める。首と胸を繋ぐ管をどこか痛ましげに見ていたかと思えば、ネームプレートに視線を移して小さく笑みをこぼす。後ろに回り込んで背中の結晶や尻尾に釘付けになっていた彼女は、ルキノの尻尾が静かに揺れるのと同時にはっとして顔を上げた。
「あっ……す、すみません! 不躾にじろじろと……!」
「構わんよ。こうしてキミに見せる為に着てきたようなものですからね」
 その慌てた顔が初めて会った時の彼女を思い出させ、ルキノはくすりと笑いながら目を細める。ぱちくりと目を瞬かせた彼女は、ほんのりと頬を赤らめてその表情に喜色をたたえた。
「えへへ……嬉しいです。ありがとうございます。……あの、教授、背中とか尻尾の結晶を触らせていただけたりは……その……やっぱり駄目ですか……?」
 窺うようにルキノを見上げるの瞳には抑えきれない欲求が渦巻いている。本人は隠しているつもりなのだろうが、彼には『触りたい』という彼女の願望が痛い程伝わってきていた。自分も新種の爬虫類を前にした時などはこうなっているのかもしれない、気を付けねばな、と思いながらも、あまりにも分かりやすく感じ取れるの心情につい頬が緩んでしまう。締まりのない表情になっていそうな気がしてそっと自分の口元を手で覆い隠したルキノは、ひとつ咳払いをした。
 もし自分が逆の立場なら聞く前に手が出ていたかもしれない。そう考えると彼女はやはり相当理性的である。そんなことを考えながら、ルキノは彼女の頬をそっと尻尾の先で撫でた。
「言ったでしょう、キミの為に着てきたようなものだと。見るも触るも好きにしたまえ」
「! ありがとうございます!! そ、それじゃあ失礼して……」
 静かに喉を上下させたが目の前でゆらゆらと存在を主張する尻尾に指先で触れる。最初こそ控えめに指先を滑らせるだけであったが、次第に好奇心が理性より大きくなり始めたのか触れ方もどこか大胆なものになっていく。爛々と瞳を輝かせ恍惚の息を吐く彼女の姿はなかなか珍しく、ルキノも楽しげに喉を鳴らした。
「うーん……鱗が変質したものかとも思ったんですけど、感触的にやっぱり別のものが生えてきてるみたいですよね……はぁ……でも本当に綺麗……鱗は艶も良いし透き通るような水色で素敵だし、若干色味が違う箇所があるのもまた味があるというか……尻尾の結晶周りのこれは……鱗の色が違うというよりは、結晶に含まれている金色の粒子と同じ物質が析出しているに近いのかな……? あぁ、でもこの結晶の部分、本当に好きです……綺麗……若干発光してる気がするんですけどこれは蓄光性がある物質ってことなんですかね……? この部分って強度はどのくらいなんでしょうか……感覚ってどのくらいあります?」
「結晶の部分に関しては、特に触覚も痛覚もありませんね。強度の方は……そう簡単に傷付くことはないが、以前探鉱者とのチェイスで欠けたことはあるな」
「えっ!? 欠けたんですか!? こんなに綺麗なのに! 万死に値しますよ!!」
「っ、ふ……フフ……キミはサバイバーだろう。それに、ゲームが終われば全て元に戻りますから、心配は無用ですよ」
 そういえばそんなこともあったと思い返しながら彼女に返事をすれば憤慨したように声を上げるものだから、ルキノは思わず笑い声をこぼしてしまった。「まァ、それ以来攻撃手段のあるサバイバーがいる時はこの服を着ることは避けているがね」と続けると彼女は「そうですか」と安心したように呟く。仮にも敵対する陣営であるはずなのだが、そんなことは彼女には関係ないようだ。
「ただ、おそらくゲーム外で欠けるようなことがあれば戻らないでしょうね。怪我の類がそうですから」
 以前、ルキノはゲーム中についた傷や汚れが館に戻ると消えているのが気になり、自分で自分に傷をつけてみたことがある。すぐに傷が塞がるかと思えばそんなことはなく、傷口は自然に治癒するまでそのままであった。ゲームの際は一時的にその傷が消えていたことから、ゲーム時は精神のみが仮の肉体に移っているような状態なのだろう、と彼は仮説を立てている。肝心の仕組みについては相変わらず謎のままであるが。
 それを説明すれば彼女はなるほどと頷き、ルキノの身体の観察を続ける。さて、好きにしろと言ったのは自分だが彼女にはそろそろ本来の目的を思い出してもらわねばなるまい、と、彼は顎を軽く撫でた。完全にスイッチが入ってしまっている彼女を眺めているのもそれはそれで面白くはあるので、また今度ゆっくり時間を作ってやるのもいいかもしれない。
(……しかし、この姿であるし仕方ないと言えば仕方ないのだが……無警戒に異性の身体を撫で回すという行動はあまり褒められたものではないな……)
 確かに彼は自身の身体に触れることを許可した。触れてみないとわからないこともあるし、が触りたいのは結晶だと言っていたからというのもある。おそらく、熱中するうちに目の前に立っているのが『一人の異性』ではなく『一匹の爬虫類』であると彼女の中で認識が変化したのだろう。その結果、ぺたぺたと身体のあちこちを触るという普通であれば何か良からぬことが起きてもおかしくないような行動に出ているのだと推測できる。いつもの彼女なら例え自分が相手であってもここまで無防備ではないはずだ。
 胸に繋がった管の付け根に指を這わせて「痛くはなさそう……?」と呟いているの腕に優しく尻尾を巻き付けてやると、彼女は弾かれたようにルキノの顔を見上げた。
「……夢中になっているキミも可愛らしいが、そろそろ散策を始めるとしようか?」
「ぁ、っ……! わ、私、なんてはしたないことを……! ご、ごめんなさい! つい、その、あの、」
「そう焦らずとも構わんよ。他意が無いことは分かっている。私自身、逆の立場であればキミと同じ行動を取っていることだろう。……ただ、警戒心はもう少し持つべきですね。私が邪な感情を抱いている普通の男であれば、今頃キミがどうなっていたか分からない」
「う……気を付けます……」
 一瞬にして理性が返ってきた彼女の顔が真っ赤に染まり、慌ただしく何度も頭を下げる。それを制止するように肩に手を置きつつ軽く注意をすれば、は反省した様子で項垂れた。そこまで落ち込むことでもないのだがな、と頬をゆるめ、ルキノは彼女の顎を持ち上げた。
「とはいえ、観察をしたい気持ちも理解できますからね。特に不快であったわけでもないし、私相手であればキミの好きにするといい。観察の時間はまた後日ゆっくり取るとしよう。……さて、まずはハッチを出すために解読をしてもらいたいのだが、大丈夫かね?」
「……! はい!」
 ルキノに嫌な思いをさせたのではないと分かったからか、が安堵したような表情を浮かべて頷く。
 解読をすべく近くにあった暗号機に駆け寄った彼女は一切の迷いなくキーを叩いている。彼女がこうして解読をしているのを近くで見るのは初めてだが見事なものだと彼は感心し、そこでふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、先日のゲームでは少なくとも私の目にはキミが何か特別なことをしているようには見えなかったのだが、クン独自の持ち物や外在特質もありましたよね?」
「え――ぁ痛っ! あ、あー……えっと、まぁ、はい……あるにはある、んですけど……」
「よければどういったものか見せてほしいのだが……あァ、勿論無理にとは言わんよ。一応私もハンターですからね。みすみす情報を渡すわけにもいくまい」
 声を掛けられたタイミングで調整が入ったようで、ばつんと彼女の手元で火花が弾ける。悪いことをしたなと思いつつも言葉を続けるルキノは彼女が何とも言えない顔をしているのを見て首を傾げたが、ああそうかと納得したように頷いた。ゲーム外で親しくしていようと現在自分と彼女は違う陣営に属している。回数を重ねれば分かっていくものであるとしても敵陣営に能力の詳細を教えるのは躊躇うだろうし、おそらく他のサバイバーもいい顔をしないだろう。
 そう考えて言葉を重ねたルキノに慌てたような表情で「ち、違うんです!」とが首を振る。
「違う、とは?」
「えっと、教授にはこうして優しくしていただいてますし、私の外在特質を教えるのも全然構わないんですけど……その……」
 言い難そうに口籠る彼女を見つめてその続きを待っていると、彼女は観念したように小さな声で話し出した。
「……なんていうか、他の方たちと比べると見劣りするというか……使いどころが無いというか……はっきり言って、しょぼいんですよね……」
「……誰かにそう言われたのか?」
 ルキノから零れ落ちた低い声にがびくりと肩を跳ねさせる。狼狽した様子で視線を泳がせた彼女は、ぶんぶんと首を横に振って彼の言葉を否定した。
「いえ、あの、別に言われたとかではないです……! ただ客観的に考えて、私がそう思っただけで……!」
 それを聞いて、ルキノは「そういうことですか」と表情をゆるめた。彼女に心無い言葉を吐いた者がいたのかと思ったが、そうではなかったのだと分かり彼はひっそり息を吐く。
 しかしあまり自分を過小評価するというのもよろしくない。確かに、それは反則だろうと言いたくなるほど厄介な能力を持つサバイバーがいるのは確かだ。ただそれ以外のサバイバーが取るに足らないかと言うと決してそんなことはなく、誰しも盤面を狂わせることができる可能性を抱いている。彼女はまだここへ来て日が浅いのだし、自身の能力について完全に理解しているとは言い難いだろう。
 理解が足りなければ、当然自身の強みを活かすことができる立ち回りも分からない。――だからといって自身への理解だけを深めればいいのかというと、答えは否である。
「――サバイバー同士で足りないものを補い合い、自陣営の勝利に繋げる……その為のチームであると私は考えている。個々の能力も勝敗に関わる要因の一つであることは確かだが、大切なのは自身、そして他人の能力を互いに深く理解し、状況に応じて適切な対応をすることだ。他者との比較など、するだけ無駄であるということは聡明なキミなら分かっているだろう? 研究、理解、実践。何においてもそれが――いかんな。説教をするつもりではなかったのだが……」
 つい熱が入ってしまったと頭を掻き、深く息を吐き出す。どうにも彼女を前にすると敵陣営であることも忘れて色々と口出ししてしまう。そのうちハンターの誰かから小言が飛んできそうだ。
 説教じみたことをしてしまったとに謝ると、彼女はかぶりを振って明るい光を宿した瞳でルキノを見上げた。
「いいえ! とてもためになりました! そうですよね、まずは自分に何ができるのかをしっかり理解しないと……ありがとうございます、教授。私、初歩的なことを忘れてました」
「そうか。キミが前向きになってくれたのなら良かったですよ」
 肩に置かれたルキノの手に、は嬉しそうな表情を浮かべる。かと思えば「それじゃあ早速見ていただきたいんですが!」と声を上げ、ショルダーバッグから羽ペンと一枚の紙を取り出してみせた。
「フム……それがキミの持ち物ですか」
「はい。これを使って――わ、いつもとインクの色が違う! ペンも紙も違うなとは思ったけど、こんなところまで変わるんですね!」
 徐に何かを書きだしたが驚いた様子で紙面とペン先を交互に見る。おそらく通常であればインクは普通のものとそう変わらないのだろう――そもそもインクを付けずに筆記ができる時点で普通だと言い難くはある――が、今彼女が綴った文字は見たこともない色彩豊かなものだった。そのうえ、紙もよく見ると星屑が散りばめられたように繊細な煌めきを放っている。相当上質なものだろう。
 ルキノが観察をしている間も、彼女はせっせと文字を書き連ねていく。一分も経たないうちに、「できました!」と笑顔でが顔を上げた。
「これをですね……見やすいようにいい感じで暗号機に括りつけます」
「ほう」
「……終わりです」
「ウン?」
 どこか気まずそうな顔をしている彼女にどういうことかと目を瞬かせる。
 括りつけられた紙をよく見ると、どうやら暗号解読に関することが事細かに書かれているようだ。解説書のようなそれは書いたのがであるため彼女には必要ない。となると、自ずと用途は絞られる。
「なるほど。他者の解読速度の底上げ、といったところか」
「さすが教授、正解です。暗号機って一台一台ちょっとした癖みたいなものがあるんですけど、それを他の人に教えることでちょっと解読しやすくなる……って感じらしいです。ただ、トレイシーさんとかヘレナさんとか、効果が無い方もいるみたいで」
 頷いた彼女から語られる詳細な説明に、ルキノは「フム」と顎に手を当てる。確かに、機械技師は機械に精通しているため他人にコツを教わらずともそのくらいは分かるだろうし、心眼は紙に書かれた文字を読むことはできない。もしかすると他にも効果が無い者がいるかもしれないが、現在明確に分かっているのはその二名だけらしい。
 彼女の話を纏めると、『詳しく書けばその分他のサバイバーの理解度も上がるが、作成にかかる時間と使う紙の量が増える』『ゲーム開始時に支給された紙を使い切るまでは何度でも使用可能』『ハンターはそれを見つけたら取り除くことができる』といったところか。他のサバイバーへの影響がどの程度なのかというのはまだ詳しく分からないようだが、度合いによっては充分脅威になり得るだろうと判断したルキノは苦い表情を浮かべた。
「確かに少々立ち回りは難しいかもしれないが……私からしてみれば厄介な部類ですね。野放しにしておきたくはない、真っ先に脱落させたいタイプだ」
「そ、そこまでではなくないですか……?」
「解読が早いサバイバーを最初に狙いたいというのはハンター共通の認識だと思いますよ。そのうえ他人にまで干渉できるというなら尚更だ」
 暗号機の解読というのはこのゲームの要であり、サバイバーの解読速度が早ければ早いほどハンターは苦戦を強いられる。解読担当はできるだけ早く脱落させておきたいと思うのは仕方のないことだ。
「……ところで、キミ自身を強化するような何かはないんですか?」
「え? うーん……そういうのはなかったと思います。これを書いても私自身にメリットはありませんし……なので実際に見せられるのが本当にこれくらいしかなくて。すみません」
「いや、クンが謝ることではない。ハンター相手だというのに、ここまで話してくれてありがとう」
 むしろ充分過ぎるくらいの情報を聞いてしまった。今度観察の時間を取る際にはクローゼットの中から見たいものを好きなだけ選ばせてやろう、と、彼は内心でひとり頷いた。
 ――ところで、彼らの本来の目的はステージの散策である。彼女の能力の詳細を知るというのもルキノの目的の一つではあったが、それはあくまで『ついでに聞けたら有難い』というくらいのものだった。彼女の為に来ているというのにさすがにこれ以上このことで時間を食うのは彼女に悪いだろう、と、ルキノはに解読を促した。
 そうして再び暗号機の解読に着手し始めたが、「あ」と何かに気付いたような声をこぼす。一体どうしたとそちらに目を向けると、どこか嬉しげな彼女が口を開いた。
「私の能力って、ちょっと『助手』っぽくないですか?」
「助手っぽい……フフ、言われてみればそうですね。そう考えると、その能力はとてもキミらしい。あの頃クンのサポートには何度も助けられたな」
 一瞬ぽかんとした顔になったルキノが、彼女の言わんとしていることを理解して目尻を下げる。自身のことよりもルキノの手伝いを優先しては満足そうに笑っていた彼女の姿が思い出され、なるほどなと彼は至極納得した。
 ルキノは目の前で上機嫌に解読を続ける彼女を見てまた小さく喉を鳴らし、その頭を優しく撫でる。ほんの少し照れたような表情を浮かべながら「今感電したら教授も巻き添えですよ」と軽口を叩くの手元で狙ったように火花が散った。
「まったく……真面目にやりたまえ」
 そう咎めるルキノの声は言葉とは裏腹に柔らかい。「はぁい」と返事をするに彼は仕方ないなと言わんばかりの顔で息を吐くが、すぐにどちらからともなくくすくすと笑い声が零れ落ちた。





2020.07.05



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