私と君の不可解な関係について
ゲーム開始前の待機時間。サバイバーの中に初めて見る顔を確認したルキノは、持っていたナイフをサイドテーブルに置いてその人物を観察していた。
「またすぐやられちゃったらごめんなさい……」
「そんな気負わなくていいって。最初は誰だってうまく逃げられないもんだし、場所が悪けりゃ慣れてても逃げんのキツいしさ」
不安そうな表情を浮かべる女性はおそらく先日新たに荘園にやって来たというサバイバーだろう。ルキノは数日前に目を通した資料――といっても、名前や能力の説明がざっくりと数行書かれただけのものであるが――の存在を思い出し、その内容を記憶の中から引っ張り出した。
(確か職業は『研究者』……主な特徴は暗号機の解読が早く板や窓を乗り越えるのが遅い、だったか)
出来ることなら早めに飛ばしておきたいが、とルキノは軽く顎を撫でる。今回は彼女の他に傭兵、空軍、オフェンスが参加するようだ。この三人だと最初に見つけたのが誰でも面倒そうだと息を吐く。新参の彼女でいくらかはカバーできてしまうだろうが、全体的に解読があまり早くないのが唯一の救いである。
特質や人格をどうしたものかとルキノが思案する間もサバイバーたちは会話を続けている。特に聞き耳を立てずとも耳に入ってくる声を聞く限り、どうやら前回の試合は惨敗だったらしい。
「この前のハンターさんじゃないといいなぁ……」
「あー……あれなぁ……もしまたアイツだったら今回は誰かがチェイスしてる時以外は隠れててもいいぜ。ずっとウィルの近くにいてもいいかもな」
「おっ、粘着か? 任せてくれ! 今日はガンガンタックル決められる気がするぜ!」
「奴はハンターの中でも飛び抜けておかしいからな……そのときは私たちに解読を任せて、は隠密に徹してくれて構わないよ」
「い、いや、さすがにそれは申し訳ないですよ……!」
そんな会話を耳にして、新参とはいえ随分と過保護だなと怪訝な顔をしたルキノだったが、空軍の言葉で推測ではあるが大体の事情は把握した。おそらく、初めてのゲームで右も左も分からない状態の彼女をトラウマになりかねないような方法で痛めつけたハンターがいたのだろう。
思い返せば、先日やたら機嫌良く鼻歌を歌いながらゲームから戻ってきた男がいた。どうせ碌でもないことだろうからと特に言及せず放っておいたのだが、その予測は当たっていたらしい。
「でもまあアレだな。アイツだったら今の話聞いた時点で絶対こっち来て反応見にくるだろうし、今日は別の奴だな」
「えっ、これハンターさんにも聞こえてるんですか?」
「聞こえてる聞こえてる。ハンターの待機場所あそこだし」
「ひえ……わ、わりと近い……」
今まで会話が聞こえていることに気付いていなかったらしい彼女が、そっと自分の口に手を当てる。今更すぎるその動作にルキノは思わずくつりと喉を鳴らした。
そうこうしているうちにゲーム開始までは残り僅かとなり、サバイバーたちの「ま、頑張ろうぜ」「健闘を祈る」などという声を聞きながらルキノも静かに目を閉じる。ある程度自分の中で仮説を立ててはいるものの、このゲームのシステムについては未だ謎であるところが多い。ルキノはよくこの僅かな時間にそれに関することを考えていたりもするのだが、結局『とりあえず今はゲームだ』という結論に至るのが彼の常であった。
今回のステージは月の河公園。ハンターによっては嫌な顔をする者もいるが、ルキノはこの場所をそれなりに好んでいる。目の前に稼働中のメリーゴーランドがあることを確認したルキノは一先ずテントの方へと足を向けた。開始位置から推測するに、一人は確実にそこにいるはずだ。基本的に屋内でのチェイスは避けたいが、このステージならば話は別である。
テントに近付くにつれて耳鳴りが強くなる。せめて傭兵以外であってくれと内心密かに祈りつつテントの中を覗き込むと、別の入口から走り去って行く人影があった。ちらりと見えた後ろ姿はおそらく空軍のものだろう。最悪のパターンは回避したが、早めに仕留めてしまいたいものだと彼はナイフを握り直した。
「まったく……服がボロボロだ」
暗号機は残り二台。なんとか空軍とオフェンスを脱落させたルキノは、遠目に見える傭兵の元へと足を向けながら深く溜め息をついた。チェイス中や椅子へ向かう途中に何度もタックルをされ、地下の椅子から空軍が救助された際には信号銃を撃たれるというサバイバーからの攻撃の連続をなんとかやり過ごした彼は、既に『早く終わらせて休みたい』というような気持ちでいっぱいだった。直前で風船から下ろすことができたため椅子に括る前にタックルで救助をされなかったことが救いである。補助特質の興奮で信号銃もほぼ無効化することはできたが、あれはそう何度も使えないうえ発動前のダメージは受けるし、結局のところ疲れも溜まるのだ。
思ったより解読も進んでいないようだし先に攻撃手段を持っているサバイバーを飛ばしてしまえたのは良かったのかもしれないな、と、補助特質を変更しながら歩いていたルキノは耳鳴りがすることに気が付いてその場で立ち止まり、辺りを見回した。数秒の間そうしていると、横を通り過ぎようとしていたホラーハウス内にある暗号機が微かに揺れ始める。橋の辺りに傭兵がいるため、こちらは例の彼女だろう。傭兵は負傷状態ではあるが、できれば解読の早い方を先に飛ばしてしまいたい。ふむ、と周りに視線を巡らせたルキノは近くのジェットコースター乗り場へと上がり軽く息を吐き出した。
数度慣らすように小さく脚を曲げ伸ばしし、一気に跳び上がる。二回、三回と空中を蹴ったルキノは暗号機の真上で勢いよく落下した。
「っ!?」
突然強くなった気配に驚いたのだろう。着地の直前に、ばちん、という音が響いた。解読をしていた彼女が落下の衝撃に巻き込まれる。何が起こっているのか分からないまま走り出す彼女へルキノはそのまま続け様に攻撃を繰り出し、ダウンさせた。こちらの能力も碌に分かっていないであろう彼女にこの奇襲のかけ方は少々卑怯だったか、と思いながら、『しかしこちらも早く戻りたいものでね』と聞こえもしない言い訳をして彼女に近付く。
「!」
「……?」
距離を取ろうとしているのかずりずりと壁に向かって這いずっていた彼女が、顔を上げてルキノをその目に映した瞬間突然動かなくなった。真っ直ぐこちらを射抜く視線に、思わずルキノも一瞬足を止めてしまう。てっきりこの異形の姿に慄いてそうなったのかと思ったが、彼の目がおかしくなっていなければ、彼女の瞳はどこか輝いているように見えた。さすがに気のせいだろうと思いつつ風船を括り付けるために彼女を尻尾で持ち上げれば、小さく悲鳴が上がる。これにもまた少なからず喜色が滲んでいるように聞こえ、ルキノは更に困惑した。
運んでいる間も抵抗をされてはいるが視線がこちらに向いているような気がして、どうにもやりづらいなと気まずい気持ちを抱きながら建物外の椅子に座らせた。その周辺に監視者を設置し、傭兵が救助に来るのを待つ。この状況であれば、サバイバーによっては『拘束されているサバイバーを見捨て、ハッチを探し一人で脱出する』というパターンもある。これまでのゲームにおいてルキノが現在と同様の状況を作り出した時、サバイバーの半数以上はその選択をしていた。しかし、彼にはあの傭兵なら迷わず来るだろうという確信があった。
先程は初心者相手にあまりにも容赦が無さすぎるやり方をしてしまったし、もし救助されたら傭兵を追うことにしようとルキノが内心で決めたところで、監視者が反応を示した。
先程までの救助やら何やらで、彼の肘当ては既に摩耗して使えないはずだ。まずは落下攻撃で牽制をするかとジャンプをしようとした瞬間、ルキノの横を傭兵が風を切って走り抜けていく。
「な、ッ……!?」
すかさずナイフを振りかざすがギリギリのところで当たらず、そのまま救助が成功してしまう。彼女の壁になるように走る傭兵は、走りながら使い物にならなくなった肘当てを外して投げ捨てていた。先刻も似たような光景を目撃していたルキノは、成程と納得する。
(新しいものを箱から引き当てたのか。やられたな)
ステージの至る所に設置してある箱に入っているものは毎回完全にランダムであり、更に肘当てやラグビーボールといったものは出る確率が他よりも低いと聞く。それをこの局面で引き当ててくるとは、この傭兵も運が良い。
確実に攻撃が当たる位置まで近付き、まずは一撃。これで傭兵は放っておいてもダウンするが、あえてそのまま傭兵を追う。一瞬驚いたような顔で彼がルキノの方を見たが、自分が追われていると確信したのかそのままできるだけステージの隅へ向かうように走っていった。おそらくハッチからなるべく遠く、という考えの基だろう。今回は確かテントの向こう側に出ていたはずだ。彼女が脱出できる可能性を少しでも高めるための時間稼ぎといったところか。
もう一度攻撃しても良かったのだが、そこまでする必要もないだろうとルキノは逃げる傭兵の背中をゆったりと追った。
「……いつも思うが、キミは少々自己犠牲が過ぎるな」
椅子に括り付けた傭兵を眺めながらルキノはそう口にする。これもまたどういった仕組みなのか、サバイバーとハンターはゲーム中お互いの言葉を認識できないため、彼の言葉が通じていない傭兵は訝しげな顔をするだけだった。
逃げた彼女を追うでもなく、椅子の近くの壁に寄りかかった彼は辺りを軽く見渡して一息つく。傭兵を飛ばしてこのゲームは終了だろう。攻撃手段を持つサバイバーがいると何故こうも時間が長く感じるのか、と考えながら、戻ったらコーヒーを淹れようとルキノはひとり頷いた。
どうやら傭兵は通信機を使って彼女と会話しているらしくひとりぶつぶつと呟いていたのだが、なにやら雲行きが怪しくなってきた。何を言っているのかルキノには分からないが、傭兵が焦ったような声で矢継ぎ早に言葉を発している。
「――――! ――、――――……!」
一体何事だとそちらに目をやるのと同時に、サバイバーの場所を知らせるカラスの鳴き声が少しずつこちらに近付いてきていることに気が付いた。まさかこの状況で救助に来たのかとルキノは思わず目を瞬かせる。例え彼女が攻撃をうまく躱して傭兵を救助したとしても、二人とも逃げられる可能性はほぼゼロに近い。むしろどちらもダウンしてしまう可能性の方が高いとすらいえる。
それ以前に彼女が現在いる位置はやや遠く、いくら傭兵の耐久時間が長いとはいえ、こちらへ辿り着く頃には既に傭兵は脱落しているだろう。彼もそれを悟って彼女をハッチへ向かうよう説得しているようだが、効果は薄そうである。
傭兵が括り付けられた椅子が飛ぶまであと数秒。心の中でカウントダウンをしながら少しずつ大きくなる鳴き声の方に目をやっていたルキノがちらりと傭兵の様子を窺うと、何か言いたげな表情の彼と目が合った。自身が脱落する直前だというのに、その視線はルキノを射抜くような鋭いものである。彼が一体何を訴えているのかを推測したルキノは深く息を吐き出した。
「……頼まれなくともそうするさ」
飛んで行く椅子を見送りながら、ぽつりとそう呟く。最後の一人となった彼女はどうやら傭兵が脱落した後からほとんどその場を動いていないようだ。ハッチも遠くなってしまったし逃げられないと諦めたのだろうか、と、ルキノがカラスの鳴き声を頼りにそちらへ向かえば、椅子のすぐ前で蹲っている姿が目に入った。これはもしやハッチの場所が分かっていなかったのではと思いつつ彼女の方へと足を進める。
「……そこのお嬢さん」
ルキノが近付いてきていることには気付いているだろうに、微動だにしない彼女を見かねてそう声をかける。その瞬間がばりと彼女の顔が上がり、その勢いの良さに思わずルキノは一歩退いた。じっと彼を見つめる彼女の瞳には様々な感情が浮かんでいたが、その中でも動揺や好奇といった色が強いように思えた。追い詰められた獲物の顔とはまた違うなと彼女の挙動に若干の困惑を覚えながらも、ルキノはゆっくりと口を開く。
「私は全員脱落させるのに固執しているわけではないし、逃げる意思の無い者を必要以上に痛めつけるような趣味は持っていないのでね。今回はハッチまで案内してあげますよ」
言葉は通じないが攻撃の意思が無いことくらいは伝わるだろうと彼女に語りかけながらルキノはナイフを仕舞った。落ち着いた声色で紡がれるルキノの言葉を耳にした彼女の目が大きく見開かれる。その反応を見た彼は、もしや言葉が通じているのかと目を丸くした。
「――……――――、――……?」
ルキノを見上げる彼女の瞳は微かに揺れており、何かを確かめるかのように問いかけと思われる言葉が投げかけられる。しかしルキノには彼女が何を言っているのかまるで分からず、少し困ったように首を振った。
「すまないが、今はキミたちの言葉が分からないんだ。――まァこれも通じていないだろうから、言ったところで意味はないんだが……」
とりあえずハッチまで連れて行くか、と少し離れた位置に立っているルキノが彼女に向かって手招きをする。彼女は戸惑ったような表情を浮かべつつも立ち上がり、ふらふらとルキノの方へと歩き出した。
少し歩いては立ち止まり彼女がついてきているか確認するという動作を繰り返して、数分後、二人はハッチに辿り着いていた。
「着きましたよ。早く戻って休むといい」
びゅうびゅうと音を立てるその入り口とルキノとを交互に見やった彼女はもごもごと何かを口にしながら近くの椅子の方に目をやるが、そんな彼女にルキノは小さく溜め息をついた。
「いいから、行きなさい。私ももう余計な体力を使いたくないのでね」
言葉が通じないのはこういうときに面倒だなとルキノは首の後ろを摩る。彼の様子を見て本当に見逃すつもりなのだと察したのか、彼女はハッチの前に立ってぺこりと頭を下げた。
「……――――、」
一言だけ言い残して、彼女はおそるおそるハッチに飛び込んでいった。その仕草の初々しさに、ルキノはふっと小さく笑う。随分と可愛らしいサバイバーもいたものだ。まあ、回数を重ねるごとにそんな可愛げも薄れていくのかもしれないが。
しかし、もし次に彼女とゲームで会った時に余りにも覚束ない逃げ方をされでもしたら、本気で追いかける気が失せてしまうかもしれない。攻撃せずに追うだけ追って、経験を積ませてやってもいいのではないか――そこまで考えたところで、ルキノは何をおかしなことをと頭を振った。
自分はハンターで、彼女はサバイバーだ。普段のゲームで『狩る』対象であるはずの相手に庇護欲にも似た感情を抱くなど、どうかしている。
攻撃手段を持つサバイバーとやり合った後だからこんな馬鹿げたことを考えてしまったのだろう。ルキノはそう結論づけて、ハンター用のゲートへと足を向けた。どうやら思った以上に疲れているらしい。コーヒーは後にして、部屋に戻ったらまずは仮眠を取ることにしよう。頭の中で予定を変更しながら、彼は心持ち歩みを早めた。
2019.09.29
修正 2020.07.05
title:レイラの初恋
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