瞬きの隙に



 今日の協力狩りは、実に和やかな空気が流れていた。というのも、ハンター側に『狩る』気が一切なかったためである。
 新しい衣装を見せびらかしたいだとか、気になる衣装を着ているサバイバーを観察したいだとか、ただ単に気分が乗らないだとか。その時によって理由は様々だが、ハンターは時折こういった気まぐれを起こすのだ。
 それに対するサバイバーの反応もまた様々で、ひたすら解読をして早々に出て行く者、ハンターと交流するわけではないが得点――得点の一部は荘園内での通貨に変換される――だけは稼いでいこうとその場に留まる者、普段は使うことのできないアイテムを端から試していく者などがいる。
 今回のメンバーは比較的友好的なサバイバーが多く、マップが月の河公園なこともあってか、試合というより『ただ遊ぶためだけに集まった』と言った方が正しいと思えるような様子であった。ジェットコースターは既に数回始点と終点を行き来しているし、今もまた高速でレールの上を走っている。
 それを遠目に見ながら、は手にした瓶を揺らしてひとつ溜め息をついた。
「うーん、やっぱり駄目かあ」
 彼女が持っているのは協力狩りでのみサバイバーが自由に手にできるドーフリン酒である。以前口にした際すっかりその味の虜になってしまったは、どうにかそれを口にできないかと一人マップの隅で瓶と格闘していた。
 こんな機会でもなければゆっくりと味わうことなどできないだろうが、健康状態の彼女には口にする資格がないと言うようにまるで開く気配がない。いっそ何かにぶつけて上の方を割ってみるかと周囲を見渡したの心臓がどくりと高鳴り、同時に背の高い男がこちらへ歩いてきているのが目に入った。
 一瞬警戒したものの、この状況だしとは肩の力を抜く。正確には未だ僅かに警戒心は抱いているが、あからさまにそれを態度に出すのは良くないだろうという判断だ。相手がこの男でなければこんな心配はしなくていいのだがと彼女は小さく息を吐く。
「こんにちは、ジャックさん。どうしたんですかこんな所で」
「それはこちらの台詞ですよ。何してるんですか貴女」
 姿が見えないから探してしまいましたよ、と口にするジャックに胡散臭そうな表情を浮かべつつ、は手の中の瓶を持ち上げて見せた。
「これ、飲めないかなと思って」
 そう言った彼女に、ジャックが呆れたような声を出す。
「人目を盗んで何をしているのかと思えば……」
「べ、別にいいじゃないですか! 美味しいんですよこれ! ゲーム中じゃないと飲めないし……」
 ろくでもないことをしているという自覚はあるのか、彼女はそう言いながらも気まずそうに目を逸らした。じとりとした視線を向けられているのに気付かないふりをして、近くの壁の角にこつこつと瓶の首を打ち付ける。
 少しずつ打ち付ける力を強くするが、ヒビどころか傷のひとつもつかないそれにはがくりと肩を落とす。突然の奇行とも言えるその行動を後ろで見守っていたジャックが「貸してください」と彼女の手から瓶を取りあげ、まじまじと眺めたかと思うとその首に左手を振り下ろした。
「ちょっ、……もう! そういうことするならするって言ってからやってくださいよ!」
「ああ、すみません。忘れてました」
 体の横すれすれを掠めた霧の刃を見送ったが抗議の声を上げる。謝る気がまるで感じられない返答に、ほぼそれしかないと言えるスキルを忘れるはずがないだろう、と出かけた台詞をは何とか飲み込んだ。そこまで言えばさすがに彼の怒りを買いかねない。
 が何を言いかけたのか大体察したジャックが、物言いたげに彼女を見下ろす。彼女は彼が口を開く前にと慌ててその手の中の瓶に視線を移し、思わず「えっ」と声をこぼした。
「これでも駄目なんだ……」
「そのようですね」
 未だ無傷の瓶を彼から受け取り、は悔しそうな表情を浮かべる。
 やはり負傷状態になるしかないのか……と傍らの彼に目を向けると、刃こぼれしていないかと自身の左手を確認していたジャックがそれに気が付いて顔をの方へ向けた。
「“お手伝い”しましょうか?」
「……結構です」
 シャリシャリとわざとらしく音を立てて刃を擦り合わせるジャックに、彼女は苦い顔をする。一瞬迷ってしまったがこれだけのためにわざわざ攻撃を受けたくはないし、仮にそうしたとして突然自分が攻撃を受ければ現在遊びに興じている他の者が銃やら何やらを携えてこちらに向かってきてくれるのは想像に容易い。相手がジャックというのもあり、尋常でない速度で駆け付けてくれることだろう。日頃の行いと言ってしまえばそれまでではあるが、さすがにそうなるのは彼が気の毒だ。
 どうしたものかな、と考え込んだが、何かを思い付いたような顔でジャックの服の裾を掴んだ。
「ジャックさんジャックさん、ちょっとこっち来て!」
「分かりましたからあまり服を引っ張らないでもらえますかね」
 服を引かれながら向かう先がテント内の地下室であることを察したジャックが「おやおや」と揶揄うような声を発する。
「こんな場所に男を連れ込むなんて、貴女もなかなか大胆ですね」
「……誤解を招く言い方しないでくれます?」
 心底嫌そうな顔を向けられ、ジャックは楽しそうに笑い声を上げた。これは何を言っても彼を喜ばせるだけだなと口をつぐんだはただ彼の服を引く手の力を強める。
 そうして辿り着いた地下のロッカーの前で、彼女はようやくジャックの服から手を離した。
「こういう時のためのロッカーですよ」
「絶対違うと思いますけどね」
 「それじゃあ頼みましたよ!」とロッカーに入るを眺め、呆れたように息を吐いてから扉を開けて彼女を風船に括りつける。もがくよりもこちらの方が早いだろうと持っている紐を切ろうとすると「それ落ちる時痛いのでやめてください」と声が降ってきて、ジャックはやれやれと肩をすくめた。
 まあ拘束から逃れようともがいている様子を眺めるのも悪くはないか、と内心で頷き、じっと彼女を見つめる。一瞬が複雑そうな顔でジャックの方を見たがすぐに逸らされた。
 しかしゲームの仕様とはいえロッカーから出されてもがいただけで『負傷状態』になるのは未だに謎だな、などと考えていると、拘束が緩んでがべちゃりと地面に落ちてきた。
「あいたっ」
「結局痛いんじゃないですか」
「これなら一回で済むからいいんです?」
 ジャックがおかしそうに喉を鳴らしながら笑う。はそんな彼に子供じみた反論をしながらいそいそとドーフリン酒を取り出した。先程はびくともしなかった蓋が呆気なく開き、ようやく飲めると彼女の頬がゆるむ。
 その瞬間、手にしていた瓶がジャックによって取り上げられ、彼女は「あっ!」と弾かれたように顔を上げた。
「ちょっと! 何するんですか!」
「いいじゃないですか一口くらい。協力してあげたでしょう」
「うぐ……仕方ないですね……一口だけですよ!」
 取り返そうとジャンプするもさすがに身長差が大きく、伸ばした手は瓶の底にかすりもしない。は不満げな表情を浮かべたが、彼の言うことにも一理あると考えたのか渋々了承した。
 それでは、と瓶を傾けたジャックだったが、一向に中身が流れ出てこず首をかしげた。
「……出てきませんけど」
「ええ? 本当ですか? いつもこうやって開けてるんだけどなあ……」
 瓶を返されたが不思議そうにそれを眺め、「中蓋とかもないし……」と言いつつ試しに口をつける。
「ん! 美味しい! ……普通に飲めますけど」
 その味に目を輝かせた彼女が、今度は自らジャックに瓶を手渡す。彼も同じように飲もうとするが、やはり中身が出てくる気配はなく、「駄目ですね」と瓶を彼女の手に押し付けた。
「サバイバー専用アイテムだから、ってことですかね」
「そうなんでしょうね。はあ……協力し損じゃないですか」
 まったく、と頭を振り、ジャックは階段に腰掛ける。どこぞの音楽家のように酒に執着しているわけではないが、多少興味はあったのだ。彼の心境など露知らず、はいつの間にか横に座って幸せそうに味わいながらドーフリン酒を飲んでいる。
 あまりにも美味しそうに飲むその姿に、ジャックは面白くないなと息を吐く。
「ん?……最高……いくらでも飲める……もうない……」
「……さん」
 あっという間に飲み切ってしまい、名残惜しそうに瓶を見つめるの名前をジャックが呼ぶ。
「はい? ――ん、ッ!?」
 どこかとろりとした目をが彼に向けた瞬間、唇同士が重なりあい、彼女は何が起こっているのか分からず目を白黒させた。キスをされているのだと理解した頃には既にジャックの舌が我が物顔で彼女の口内を這い回っており、はただされるがままになるしかなった。
「っ、ふ……ぁ……ぅ、」
 後頭部に手を回され、顔を離すこともかなわない。手にも脚にも力が入らないのは酒が回ったせいだ、と言い訳のように自分に言い聞かせ、縋るように彼のシャツを掴む。
 もう少し抵抗されるかと思っていた、と内心少々意外に思いつつ、まあこれはこれでとジャックは好き勝手に彼女を蹂躙する。上顎を軽く撫でてやるとびくりと肩が跳ね、思わずくすりと息が零れた。わざと音を立てて舌を絡めれば、羞恥に耐えるように彼女の眉根が寄せられる。
 溢れそうな唾液を啜り、舌先を吸ってから顔を離すと、顔を真っ赤にしたがジャックの胸に額を押し付けるようにもたれかかってきた。
「……ああ、確かに。特徴的な味がする気がしますね」
「っ……! ばか! へんたい!」
 すっかり力が抜けた手で作られた拳がジャックの肩を何度も叩く。なんとか顔を上げたは呼吸も整わないまま彼を睨みつけるが、ジャックはどこ吹く風である。
「そんな可愛い罵倒は男を煽るだけですよ」
 そう言ってもう一度軽く唇を触れ合わせると、彼女は数回口をぱくぱくとさせたあとすっかり押し黙ってしまった。サバイバーとハンターということを抜きにしても、自分が圧倒的に不利な立場にいるということを理解したのだろう。
 立ち上がることができないのを悟られまいとそっぽを向いている彼女をどうからかってやろうか。外していた仮面を着け直そうとしたのをやめて、ジャックはの腰に手を回した。





2023.07.17



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