それは歪な相思相愛



 ジャックは、他人の泣いている顔が好きだ。恐怖に慄く姿も、それを必死に押し殺して虚勢を張っている様も、嫌悪や憎悪の表情でさえも、彼にとっては好ましいものである。
 だから彼はこの荘園で行われる『ゲーム』が楽しくて仕方がなかったし、ハンターの誰よりも積極的にゲームに参加していた。――というサバイバーが荘園にやって来るまでは。
「あ! ジャックさんこんにちは!」
「……ご機嫌よう、お嬢さん」
 中庭を歩きながら鼻唄を歌っていたジャックは、背後からかけられた明るい声に思わず息を吐きそうになった。そう、彼女こそが件のサバイバーであり、最近のジャックを悩ませている張本人である。
 屈託なく笑いながら駆け寄ってきた彼女を苦々しい思いで見下ろす。いくらゲーム外とはいえ、ここまで無警戒に自分に近付くのは彼女くらいだ。
「今日のコーディネートも素敵ですね! ジャックさんは何を着ててもかっこいいですけど! あ、そういえば、つい先日新しい服を手に入れたので、ぜひジャックさんに見てほしくて……もしよかったらこれから一緒にカスタム戦でも――」
「遠慮します」
「もう、ジャックさんってば、本当に焦らし上手なんですから。いつになったらゲームの外でデートしてくれるんですか?」
「そんな日は永遠に来ませんよ」
 ジャックに詰め寄る勢いで話しかけてくる彼女から距離を取り、素っ気ない言葉を返す。これこそが、ジャックがを苦手としている理由だった。
 彼女はサバイバーである。ハンターとサバイバーはゲーム外で言葉を交わすこともあるが、ひとたびゲームが始まればハンターは容赦なく彼女たちに牙を剥く。それはジャックとて例外ではない。気紛れに優しくしてやることはあれど、それは本当にごく稀だ。
 それにも関わらずはあろうことかジャックに好意を寄せているという。ジャックはそれが信じられないと共に非常に煩わしかった。自分が他者に向けられたい感情は、表情は、それではない。
 彼女がジャックを恐れ、視界に入れば泣き叫びながら逃げるというような反応をするのであれば彼は嬉々として彼女を構い倒しただろう。しかしがぶつけてくるのは真逆のものであり、それは彼に何の悦楽も齎さないのだ。
「……というか、チェイスのことを『デート』と称するのやめてくれませんかね」
「え、だってあれ実質デートじゃないですか。なかなか二人きりにはなれませんけど……」
 そして腹立たしいことに、彼女はチェイスが上手かった。最初に見つけたのが彼女であった時は別のサバイバーを探しに行きたくなるくらいには。他のハンターによると『確かに安定して上手い方だがそこまでではない』という評価が多いため、対ジャックにおいてのみやたらとチェイスが伸びている可能性が高いのもまた癪に障る。
「あ、でもジャックさん的には『踊る』なんでしたっけ?」
「そんなつもりで貴女とチェイスをしたことは一度もありませんけどね」
 彼女にそれを言った覚えはないが、大方他のサバイバー――もしかするとハンターかもしれない――から聞いたのだろう。「私はジャックさんとならずっと踊っていたいです」などとふざけたことを言っているに、ジャックの不快指数は上昇していくばかりだ。
 これ以上相手をするのも面倒だ、と、ジャックはひとつ息を吐いて彼女に背を向ける。
「今日はこの辺りで失礼します。私も暇ではないので」
 背中を追いかけてくる彼女の声は聞こえないふりをした。

***


「あっはっは、また絡まれたんだ」
「本当、いい加減にしてほしいんですけどね」
 疲れたようにソファーに身体を預けるジャックの様子で全てを察したジョゼフがおかしくてたまらないといった風に笑う。ティーカップを傾けながら彼にじとりとした視線を向けたジャックは、大きく溜め息をついた。
「いいじゃないか、一途で可愛らしくて」
「それ本気で言ってるんですか?」
 他人事だと思って、と口を開いたジャックだったが、もしも自分が逆の立場だったら間違いなく彼と同じ反応をしていたであろうことは明白なため強く非難することはできなかった。ジャックの場合、面白がって関係を引っ掻き回すような言動をしかねないのでよりたちが悪いとも言える。
 しかしそんな彼も当事者となってしまえば大人しいもので、ここ最近はどうしたものかと頭を悩ませる日々を送っていた。
 ジョゼフはジャックの話を聞きはするが本当に聞くだけで、特に解決策を提示してくるわけでもない。何かいい案は無いのかと半ば投げやりにジョゼフに問い掛けると、彼はふむと顎に手を当てた。
「そう言われてもなあ……いっそのこと彼女のことを受け入れるというか、口説いてみるとかしてみたら?」
 そんな提案をされ、ジャックは思わず「はあ?」と声をこぼした。何を馬鹿なことを言っているんだとでも言わんばかりの彼にジョゼフはくすくすと笑い声を返す。「絶対そういう反応すると思った」と笑い続ける彼を面白くなさそうに見遣り、ジャックは「こっちは真面目に聞いてるんですがね」と吐き出す。
「でも案外悪くないと思うけど。引いて駄目なら押してみろ、だよ」
「馬鹿なんですか?」
「随分な言い種だな」
 口を衝いて出たジャックの言葉にジョゼフは片眉を上げてみせたが、特に気を悪くしたような様子はない。彼も肯定的な反応が返ってくるとは思っていなかったのだろう。距離を置く為の案を聞かれているのに返ってきたのが『口説いてみればいい』なのだ、その反応も頷ける。
 だがジョゼフも適当に返したわけでなく、ある程度の効果は見込めるはずだという考えあっての発言だった。
 彼は何度かと言葉を交わしたことがある。そのときに気が付いたのだが、彼女はジャックに多大な夢を見ているところがあった。おそらく彼女の中には『理想のジャック』というものが存在しており、彼女はジャックがその通りの反応を示すから余計に喜んでいるのだろう。
 それならば、その『理想』から外れる行動をジャックがしてやればいい。簡単なことだ。
「……ハンターに理想を求めるサバイバー怖すぎません? 頭がおかしいとしか……」
「君がそれを言うのか」
「は? どういう意味です?」
「そのままの意味だけど」
 ジョゼフの考えを聞かされたジャックは何とも言えない顔をした。
 正直意味が分からないとしか言えないが、実際に彼の言う通りならば先程の提案も納得できないことはない。ジャックの中では、試してみる価値はあるのかもしれないという気持ちと下手に本気にされたらかなわないという気持ちがぶつかり合っていた。
「……もし余計に付き纏われるようなことになったら恨みますからね」
 悩みに悩んだ結果、ジョゼフの策を試してみる方に軍配が上がった。なにしろそれ以外に何も思いつかないのだから仕方がない。
 苦々しいものを声に乗せるジャックとは対照的に、ジョゼフは「健闘を祈るよ」と笑みを浮かべた。
 ジャックは丁度これからゲームの予定が入っている。はなかなか意欲的に参加しているようだから、次のゲームにも参加する可能性は高いだろう。いきなり口説くというのはリスクが高すぎるためまずは軽く様子を見ようと内心で決めてジャックはゲームへ向かった。
 その背中を見送りながら、ジョゼフは『さてどう転ぶか』と思案する。あえて口にすることはなかったが、この策には一つ大きな欠点――と言うべきかは微妙なところではあるが――があった。ジャックはそこまで思い至らなかったようだが。
 どちらにしても自分に被害はないし、なかなか面白いことになるかもしれないと彼はひっそり口端を持ち上げた。

***


「……はあ、気が乗らない」
 思った通り、彼女はサバイバーの待機場所でゲーム開始を待っていた。作戦決行だと腹を括るも、やはり気分は上がらない。
 とりあえず普通にサバイバーを探そうと歩き始めたジャックは遠目に人影を発見し、それが今回の目当てであるだということに気が付いてそちらに足を向ける。はっきりと姿が確認できるくらいの距離まで近付くと、彼女は顔を輝かせて障害物の多い方へと駆け出した。
 普段ならばこんな場所で、それも初手で彼女を追うなどということは絶対にしないが、今回は目的が違う。一定の間隔を保ちつつ、攻撃をする素振りもなく彼女の背中を追っていると、さすがに違和感を覚えたのか彼女が窓枠越しに動きを止めた。いつでも逃げ出せるような体勢は取りつつ、ジャックの様子を窺っている。
 分かりやすくアピールをしてみるか、と、彼は武器である左手を後ろに隠し、片膝をついてみせた。その瞬間、の顔に困惑の色が広がる。何か言葉をこぼしたようだったが、生憎今のジャックには伝わらない。窓枠を乗り越えてに近寄ると、彼女は距離を取るように後ろへ下がった。
 数度それを繰り返して、彼女の体が壁にぶつかる。障害物で囲まれたその空間は、入口に立ってしまえば抜け出すことは不可能な場所だった。こんな所に入り込んでしまうほど背後が疎かになるなんて、彼女らしくもない。
 もう一度膝をついて、彼女の手を取り、その甲に口付けるような動作をしてやる。見上げればその顔には明らかな動揺と、ほんの少し、怖れに近い何かを含む表情が浮かんでいた。
 ――ああ、これは、正解かもしれない。
 高揚を覚えながら、隠していた左手を振り上げて彼女に攻撃を加える。逃げることができない場所のため、彼女はすぐにダウンした。ダウンを取られたというのに、はどこか安堵したような表情を浮かべている。
 何を勘違いしているのかは知らないが、とジャックは彼女を抱き上げて、くるりと軽やかに回ってみせる。息を飲んだが顔を青くして暴れ出すのが滑稽で、思わず笑い声がこぼれ落ちた。
「なんだ、そんな可愛らしい表情もできるんじゃないか」
 顔を寄せて囁けば、抵抗がより激しくなる。言葉は伝わっていないはずだが、なんとなく感じるものがあるのかもしれない。
 もがいて抜け出したのをダウンさせては抱き上げる、というのを繰り返している内に暗号機の解読は全て終了したらしく、通電を知らせる音が響き渡る。どうやら同じゲートの方に全員集まっているようだ。通電のタイミングといい、今回のゲームが普段のものとは違うことは他のサバイバーも把握しているのだろう。
 全員が脱出した瞬間に投降しようとでも考えているのか、突然大人しくなった彼女を連れてゲートへと向かう。折角優しくしてやっているのだ、そんなことをさせるわけにはいかない。
 然程距離が無かったため思ったよりも早く到着した。未だ開いていないゲートの前に立っていたサバイバーたちは警戒するような視線をジャックに向けている。それを気にするでもなく、彼はを地面に下ろした。
 仰々しく一礼して、ジャックはその場を離れる。これで彼女は治療され、全員揃ってゲートから出て行くことだろう。
 それにしても、馬鹿馬鹿しいとすら思えたあの提案にここまでの効果があるとは。嬉しい誤算である。このゲームが終わったら駄目押しで甘い言葉でも掛けに行ってやろう。
 これで煩わしいこともなくなるだろうと足取り軽やかに出口へと足を進める。最初から誰も吊る気はなかったが、全逃げだというのにこんなに気分が良いのは久し振りだった。

 すぐには見つからないかとも思ったが、彼は存外早くを発見することができた。普段であればジャックの姿を視界に入れた瞬間に笑顔で駆け寄ってくるがその場で固まっている。それだけでも充分効果が出ていることを実感して、ジャックは笑みを深めた。
「やあお嬢さん。先程ぶりですね」
「……ジャック、さん……」
 ジャックが近付けばその分彼女は後退る。ついさっきそれで追い詰められたというのに、それ程までに頭が回っていないらしい。
「元気がないようですが、何かありました? 私で良ければ話を聞きますよ」
 そっと彼女の腰に手を回し、慈しむような手つきで頬を撫でる。そんなジャックに心底怯えた目をしたは、両腕で彼の身体を突っぱねた。
「や、やめて! 貴方、誰!?」
「誰って、分かるでしょう? ジャックですよ。あんなに愛を伝えてくれていたというのに、寂しいことを言わないでください」
 細い身体とは裏腹に、彼女に押されたところでジャックはびくともしない。それどころか腰を抱く手に力がこもり、二人は最早密着していると言ってもいい状態である。
 背中を丸めて顔と顔を近付けて、の瞳を覗き込む。微かに潤みを帯びた目はジャックに向けられたことのない色を宿しており、彼はぞくりと何かが背中を走り抜けていくのを感じた。
「いつもつい冷たい態度を取ってしまっていたんですが、ようやく気が付いたんです。貴女の存在が無視できないほど私の中で大きくなっていることを。そうしたらもう居ても立ってもいられなくなって……これまでの事を許してくれとは言いません。ですが……私のことを受け入れてくれませんか、my dear?」
 たっぷりと蜂蜜を絡ませたような声で綴られるジャックの言葉は大袈裟で、芝居がかったものだった。しかしはそんなことには気が付いていないようで、目の前の彼を信じられないものを見るような目で見つめている。今すぐに笑い出したい気持ちを堪えながら、彼女の顎を掬い上げ、仮面越しに唇を落とす。
 その瞬間、先程よりも強い力でがジャックを押し退けた。それでも彼を動かすには足りなかったが、あえて素直に距離を取ってやる。
 動揺、困惑、恐怖。どれともつかない複雑なもので瞳を染め上げた彼女は、震える声を吐き出した。
「ジャックさん、は……そんなこと……言わないし、しない……!」
「おや、面白いことを言いますね。では今こうして貴女の前にいるのは『ジャック』ではないと?」
「っ、……だ、だって、ジャックさんは……絶対、こんな……ありえない……!」
 そう言い残して駆け出していった彼女を見送るジャックは非常に満ち足りた心地だった。自分が欲しかったのはまさにこれなのだと、充足感に包まれている。
 今後は鬱陶しく付き纏われることもないだろう。もし寄ってきたらまた同じように対応してやればいいのだ。
 ジョゼフに感謝を伝える為に、彼がいるであろう談話室へ向かう。とっておきの紅茶を淹れてやるのもいいかもしれないな、などと考えながら、ジャックは機嫌良く鼻唄を歌った。

***


 それからというもの、ジャックがに付き纏われることはなくなった。
「ジョゼフさん、ジャックさんを見かけませんでしたか?」
「うん? ジャックならあの子にちょっかいかけに行ってると思うけど」
「あら……またですか」
 当たり前のように返された言葉に謝必安は呆れたように息を吐く。
 あれほど嫌がっていたというのに、ジャックはあれからずっと彼女にご執心なのだ。二人に何があったのかを知らないハンターとサバイバーは初めこそ逆転した関係性に驚いていたが、今となっては日常茶飯事といった様子である。
「まあこうなるだろうとは思ってたけど、実際目の当たりにすると面白いよね」
「サバイバーに構ってばかりでなかなか捕まらないのは困りますけどね」
 午後の協力狩りについて話をしたかったのにと零す謝必安は諦めたようにジョゼフの向かいに腰を下ろした。暇さえあればを探しに行こうとするジャックを止めるのはなかなか骨が折れるのだ。
 ――そう、これこそが、ジョゼフのした提案に潜んだ落とし穴だった。
 ジャックが彼女に好意的な言動を取り、それでが彼を拒絶した場合、そこで彼らの関係が断ち切られる可能性は限りなく低かった。何せ、片方がジャックなのだ。他の者ならいざ知らず。
 彼はそれまで嫌悪すら覚えていた相手が自分を拒絶するのを見たからといって、満足して距離を置くような男だろうか。答えは当然否である。
 単に嫌がっているのを見ることに快感を覚えているというのもあるし、それまで散々自分が苦しめられた腹いせのようなものもあるのだろう。彼女を構っている時のジャックは非常に楽しげだった。
「ジャックなんかに夢を見なければ彼女もあんな面倒なのに絡まれることなかったのにね」
「面倒なことにしたのはジョゼフさんじゃないですか」
「だって、変に八つ当たりされるよりはマシだろう?」
 ジョゼフが助言をしたのはジャックの為ではなくあくまで自分の為だ。それで他人、それもサバイバーがどうなろうと知ったことではない。
 しれっとそんな言葉を吐いて焼き菓子に手を伸ばすジョゼフに、謝必安はやれやれと肩を竦めた。





2020.08.16



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