上手な景色の切り取り方
大きな窓からやわらかな陽が差し込む部屋の中で、分厚いアルバムを膝の上に乗せたはぱらぱらと頁を捲りながら感嘆の息を吐いた。
「ジョゼフさんが撮った写真はどれも素敵ですねぇ」
「ふふ、ありがとう」
横でそれを眺めていたジョゼフは彼女の言葉を受けて嬉しそうに微笑みを浮かべる。その手の中には小型のカメラが収まっており、ふと思いついたようにそれを持ち上げの方に向けてにこりと笑った。
「そうだ、君のことも撮ってあげようか」
「えっ、嫌です」
一秒も間を置かず返された声に思わず「えっ」と声を上げる。まさかこれほどばっさりと断られるとは思っていなかったのか、ジョゼフは透き通った大きな瞳を二、三度瞬かせた。どうして、と言いたげなその顔に、はなんとも言えない表情でカメラを指差した。
「だって、ほら……撮られるとやばいやつなんじゃないですか? それ……」
「失礼だな……もっと他に言い方があるだろう」
彼女の言いたいことをなんとなく察したジョゼフが眉根を寄せて小さく息を吐く。「それにね」と言いながら、細い指先でこつこつと手中のカメラを突いてみせた。
「これは何の変哲もない普通のカメラだから、変な心配は無用だよ」
事実、現在ジョゼフが手の上で弄んでいるカメラは特に何の能力も有さないごく普通のカメラだった。が眺めていたアルバムの中の写真も、そのほとんどがこのカメラで撮られたものである。そのことはなんとなく分かっていたのか、も「そうでしょうね」と頷いた。
それじゃあ、と口を開きかけたジョゼフだったが、彼女が未だに難しい顔で唸っているのを見て怪訝な表情を浮かべた。
「ん~……でも、やっぱりいいです」
「どうして?」
「うーん……その……」
もごもごとはっきりとしない言葉を口の中で転がすに、ジョゼフは首を傾げる。特に急かすこともせずじっと彼女を見つめていると、観念したのかぽつりと小さな声が零された。
「写真うつりが、よくなくて……」
絞り出すような細い声で呟かれた彼女の言葉を拾い上げたジョゼフは、再びぱちくりとまばたきをした。何か重大な理由でもあるのかと身構えていた彼は「なんだ、そんなことか」と呟き、くすりと笑い声を落とす。
「そんなことじゃないんですよ! 深刻な悩みなんです! 絶対に撮らせませんからね!!」
「そんなに力いっぱい拒否しなくてもいいじゃないか」
膝を思い切り叩こうとしてアルバムの存在を思い出したはその手でアルバムを持ち上げジョゼフとの間に壁を作るように顔を隠す。そんな彼女の様子にくすくすと笑うジョゼフをアルバム越しにじとりと見つめ、は深い溜息を吐いた。
「だって、ちゃんと写ろうと思ってるのにぶれてたり目瞑っちゃってたり半目だったり変に影になっちゃってたりするんですよ……これまでに撮った写真九割そんな感じなんですよ……嫌にもなりますよ……」
過去のそれらを思い出しているのかどこか虚ろな目をして乾いた笑いを浮かべる。一体どういう写真を撮られたらこれほど引きずるようになってしまうのかと思いつつ、ジョゼフはやれやれと言いたげに首をゆるく振った。
「そんなものは撮る者の腕次第でどうとでもなるものだよ」
「うそ!」
「本当だよ」
間髪入れずに否定をされたが彼は諦めない。ジョゼフにしてみれば、撮る側がきちんと考えてやれば予測不可能な何かが起きでもしない限りまともな写真が撮れるのは当然であり、彼女が懸念していることなどなんの問題もない。彼には確実に彼女を美しく撮ることができるという揺るぎない自信があった。
美しいものを撮った写真が美しくないはずがない。もし美しくなかったのならそれは撮影者の腕が悪いだけだ。それがジョゼフの持論である。
「……ほんとに……?」
「本当に」
あまりにもジョゼフが自信満々に頷くものだからも断固拒否の姿勢を崩し始め、壁となっていたアルバムも再び膝の上に戻っていく。
「……ううん……確かにジョゼフさんは写真撮るの上手だけど……でもそれとこれとは話が……」
顎に手をやってぶつぶつと呟くを少しの間眺めていたジョゼフはふと何かを思いついたような表情を浮かべ、その薄い唇を開いた。
「」
「はい? ――え、」
ぱしゃり。軽い音が部屋の中に響き渡る。
突然名前を呼ばれて顔を上げたは何が起こっているのか理解できずにその動きを止め、ジョゼフはそんな彼女を見て満足げに笑って見せた。その手の中のカメラと彼の顔を数度視線が往復し、そこでようやくがはっとする。
「っ!!! ジョゼフさん!!!」
掴みかかるといっても過言ではない勢いでジョゼフに迫ろうとする彼女の手を容易く避け、立ち上がってくるりとカメラを回してみせる。唇で弧を描き目を細めるその姿はさながら一枚の絵画のようであったが、の瞳には悪魔や死神の類であるかのように映っていた。
「ふふ、実際に撮って見せた方が手っ取り早いだろう?」
「ひどい……ずるい……卑怯だ……詐欺だ……」
顔を覆って「これだからハンターは……」と嘆く彼女には思わずジョゼフも「君も一応ハンターだろう」と嘆息した。よしよしと宥めるようにを撫でようとすると触れた瞬間に頭をぶんぶんと振って拒否され、彼はまたひとつ小さく息を吐いた。
「さて……ちょうど今ので最後だったし、早速現像してこようかな」
「変な顔で写ってたら呪術師さんに頼んで呪ってもらいます……」
「物騒だな君は! アレの辛さは君もよく分かっているだろう!?」
指の間から目を覗かせてまるで呪詛を吐くかのように落とされた言葉にジョゼフは心底戦慄した。よもやハンターからそんな脅しをかけられるとは思うまい。多かれ少なかれハンターたちはあれを受けて苦しんだ経験があり、その苦しさは彼女も重々分かっているはずだ。先程『これだからハンターは』などと言っていたが、今の発言の凶悪さを考えるとやはり彼女にも充分その素質はあるようである。
「写真による私の心の傷がそれくらい深いってことです」
深い溜息をついたが恨みがましい視線をジョゼフに向ける。
「そこまで言わせる君の過去の写真が逆に気になってきたよ」
「絶対に見せませんからね。っていうか少なくともここにはありません」
食い気味に返事をされたジョゼフは軽く喉を鳴らして「だろうね」と笑った。一先ず現像をしてこようとひらひら手を振って部屋を出ていく彼をはじとりとした目で追い、再び重苦しい息を吐いた。
彼が戻ってくるまでお茶でも飲んでいるかとがティーセットの準備をしていると、いつものように鼻歌を歌いながらジャックが部屋へ入ってきた。
「あ、ジャックさん」
「おや、さん」
「もし時間あるなら一緒にお茶しませんか?」
にこにことそう尋ねてくるに「ええ、喜んで」と返しながら、ジャックは彼女の方へと足を向けた。やったぁと喜ぶ彼女が微笑ましく、思わず小さな笑いが零れた。
キッチンへ向かう彼女の後について行き、二人で追加のカップやお菓子をテーブルまで運ぶ。慣れた手つきで紅茶を淹れるジャックの手元を感心したように見つめる彼女を眺めつつ、彼は「そういえば」と口を開いた。
「先ほどやけに上機嫌なジョゼフさんとすれ違ったんですが、貴女絡みですか?」
「……」
「濃すぎる紅茶を飲んだときと同じような顔になってますよ」
ジャックの言葉を聞き取った瞬間ぎゅうと眉根を寄せたの反応があまりにも予想通りで、思わずくつくつと喉を鳴らす。ジョゼフの機嫌が良さそうなときは大体彼女が絡んでいることが多いのだ。そして逆に振り回される彼女は疲れていることが多い。稀に二人とも上機嫌なこともあるが、今回はそうではなかったようだ。
はいどうぞとティーカップを差し出せば、彼女は礼を言ってそれを手に取った。
「……写真を撮られたんです」
「それはまた、今更ですね」
渋い顔で紅茶を口に含むに、ジャックはついそんなことかとでも言いたげな声音で返してしまった。彼はジョゼフが何か彼女にセクハラじみたことでもしたのだろうと予想していたが、全く別のことだったようだ。いや、人によっては写真を撮られるというのもそれに近いものがあるのかもしれないが。
「へ?」
「ん? 彼が写真を撮るのは特に珍しいことでもないでしょう?」
きょとんとする彼女に、ジャックも首を傾げる。実際、ジョゼフは日常的に写真を撮っているし、ジャックを含め他のハンターたちもその光景を目撃することは多かった。ロビーなどは彼の撮った写真をよく見せてもらっている。も然りだ。
「それは確かにそうなんですけど……私、写真撮られるのってどうも苦手で……」
「おや、そうだったんですか? それは知らなかった。全然そうは見えませんでしたよ」
「え、私そんな撮られたがりっていうか目立ちたがりみたいに見えます……?」
「? そうではなく――いや、まさかジョゼフさん…………まあ、この話はもういいでしょう」
彼女の言葉に何か引っかかるものがあったのか、ジャックが眉間の辺りに指を置いて考え込むような仕草を見せる。しばらくそうしていたかと思えば、軽く息を吐いてゆるゆると頭を振り、ティーカップを持ち上げた。は一体どうしたのかと不思議そうな表情を浮かべているが、考えていたことにジャックが言及することはなかった。
「彼の腕は確かですから、そんなに身構えずとも良いと思いますよ」
何事もなかったかのように会話を続ける彼にも悩ましげな表情でクッキーを口に運ぶ。
「ううん……私も、ジョゼフさんのカメラの腕は信用してるんですけど……やっぱりこう、変に写ってたらどうしようってなっちゃうんですよね……」
「レディの悩みですねぇ」
しみじみと呟くジャックは彼女の可愛らしい心配事にどこか心が温まるような気持ちを抱きつつティーカップを傾ける。
「まあ変な顔で写ってたら呪術師さんに頭を下げてでも呪ってもらうつもりでいるので」
「可愛い顔してえげつないこと言いますね貴女」
ジャックの温まっていた心の温度が一気に下がった。彼女の発言に思わず紅茶を噴き出しそうになったのを既の所で堪え、信じられないものを見るような目をに向ける。人畜無害のような顔をしながら(彼女もハンターではあるが)恐ろしいことを言う女性である。
「やだジャックさん、褒めても何も出ませんよ」
きゃっ、と照れたように頬をおさえる彼女からそっと視線を外し、ジャックは皿に乗ったクッキーを一枚手に取り口に運んだ。
「……このクッキー美味しいですね」
「そうでしょうそうでしょう。ジョゼフさんが隠してたやつです。秘密ですよ」
「…………聞かなかったことにしておきましょう」
ジャックは未だに彼女のことがよくわからない。
なんだかんだ言いながら和やかに続いていたお茶会は、突然開かれたドアによって中断させられることとなった。
「お待たせ」
そこにはきらきらとした笑顔を浮かべるジョゼフの姿があり、その姿を視界に入れたは苦々しい表情を隠すこともしなかった。
「はあ……現像失敗すればよかったのに……」
「私がそんなミスするはずがないだろう」
ふふん、と自信たっぷりに胸を張るジョゼフを、彼女はもの言いたげに見つめる。
「……そんなに余裕のある顔してるってことは、変な写真にはなってなかったってことですか」
「ふふ、自分の目で確かめてみなよ。ほら」
「うう……」
ぴらりと目の前に差し出された写真を悩んだ末に受け取り、おそるおそる写っているものを確認する。
「……!」
初めは嫌そうな顔をして片手で目を覆い少しずつ見るという失礼極まりない方法を取っていただったが、そこに写っている自分の姿を認めた瞬間、ばっと顔を上げてジョゼフと写真を交互に見遣った。
「ジョゼフさん!」
「なんだい?」
「普通ですね!!!」
輝いた表情で放たれた台詞は彼が期待していたものとは違い、ジョゼフは若干ショックを受けたような顔で「……普通……」と呟いた。そんな彼の様子に慌てた彼女が慌てて訂正の言葉を続ける。
「あっ、すみませんそうじゃなくて、私が普通の顔で写ってるってことです! すごい! 嬉しい! ジョゼフさんすごい!」
「当然だろう。私を誰だと思っているんだい?」
力いっぱい褒められ、自信を失いかけていた彼は瞬く間に復活して顔にかかった髪をはらりと手で払う。
「不意打ちだったから少し驚いたような表情だけれど、可愛らしく撮れたと思うよ」
「そうですねぇ、いい写真です」
「うん? ジャック、いたのかい?」
が持つ写真を覗き込んで頷くジャックの姿を認めたジョゼフが今気がついたというように声を上げた。一切自分の方に視線を向けていなかったことからそんなことだろうとは思っていたが、と軽く息を吐いたジャックは「最初からいましたよ」と呆れたように肩を竦める。
写真を手に喜ぶに満足げな表情で頷くジョゼフをジャックが胡散臭そうな顔で見つめながら口を開く。
「ところでジョゼフさん。彼女、写真を撮られるのが苦手だと言っていましたが」
「そのようだね。まあ、これで今日からはも私に写真を撮らせてくれるようになるさ」
堂々と正面からね、と付け加え、笑顔のお手本と言っても過言ではないような綺麗な笑みを浮かべる彼に、ジャックはやれやれと言いたげに頭を振った。
「なかなかいい趣味をお持ちのようで」
「はは、何のことかな」
「何のことでしょうねぇ」
どこか乾いた笑いを交わし合う二人にが「何の話してるんですか?」と不思議そうな目を向ける。
「なんでもないよ」
「なんでもありませんよ」
そう揃って返ってきた声に「わあ、息ぴったり」と返すは特に二人の会話に言及するでもなく、そうだ、と手を打った。
「ジョゼフさんもお茶しましょう! カップ持ってきますね!」
「ああ、頂こうか――ちょっといいかな。この皿の上の焼き菓子なんだけど」
「!」
しまった、と声が聞こえてきそうな表情を浮かべたは脱兎のごとく駆け出し、ジョゼフがそれを追う。「部屋の中を走るんじゃありませんよ」というジャックの声を気にも留めず、二人は部屋を飛び出していった。
部屋にの中に一人取り残されたジャックは出しっぱなしのカップやお菓子を片付けてもいいものかと悩んだが、どうせすぐ戻ってくるだろうとそのまま椅子に座り残っているクッキーを一枚摘んだ。
「戻ってくる前に食べ尽くしたらさすがにまずいですかねぇ……」
ぬるくなった紅茶で口を湿らせて、ジャックはそう呟いた。
2019.07.07
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