ふいうち



「つかれた……」
 今日はなんだか一日中ばたばたとしていた気がする。朝からずっとあっちへ行ったりこっちへ行ったり、何度港を往復したか分からない。……あれ、そういえばお昼食べたっけ?
 飲み水以外ほぼ何も口にしていないのを思い出した瞬間、体が空腹を訴えてきた。ここぞとばかりに騒ぎ出す胃袋の声を聞きながら、家の冷蔵庫には何があったかと記憶を呼び起こす。
 ええっと、たしか――……まずい、ぱっと思い浮かぶものが数本のお酒しかない。
 いや、さすがに何かしら食べるものはあったはず。大丈夫、だと思う。多分。少なくともパンはある。ジャムは切らしているけれど。
 まあでももう何かを買って帰る気力もないし、今日の夕飯はパンでいいか……。あるものをさっと食べて、お酒も飲んで、早くベッドに入ってしまいたい。
 ひたすら無心で足を動かし、ようやく辿り着いた家の前で鍵を取り出したところで、聞き慣れた声がした。
「さん」
「あれ、イルーガくん? どうしたの?」
 大きめのバスケットやら何やらを持ったイルーガくんは「丁度よかった」とこちらへ近付いてくる。にこにこと笑みを浮かべている姿は今日もかわいくて疲れも吹っ飛んでしまいそうだ。
「お邪魔かなとも思ったんですが……料理を作ったので、もしよければと思って」
「え!? いいの!?」
 軽くバスケットを持ち上げてみせたイルーガくんに、思わずそんな声が出る。だいぶ食い気味になってしまった。恥ずかしい。
 でも実際かなりありがたいのは確かだ。ぱさぱさのパンとお酒だけを与えられる予定だった私の体は先走って歓喜に打ち震えている。彼の方からふわりと美味しそうな匂いが漂ってきて、ぐう、とお腹の虫が鳴いた。
 イルーガくんがぱちりと目を瞬いたのを見て、今の音が彼にも聞こえたであろうことを察する。かっと顔が熱くなって、思わず目を逸らしてしまった。
「い、今のは、その、あ、朝からほとんど何も食べてなくて……それで、その……」
 もにょもにょと言い訳をする私に、彼は「それはいけませんね」と眉をひそめる。
「忙しいときでも食事は摂らないと。倒れてしまうかもしれませんし、そうなってからでは遅いですから」
「それはもう……おっしゃる通りです……」
 年下の男の子に諭されてしまった。情けない。
 しおしおと萎れていると、「でもさんのそういう一生懸命なところ、僕は好きですよ」なんて声が飛んできた。
 さすが、ライトキーパーで分隊長を務めているだけあって、飴と鞭の使い分けが上手だ。彼に微笑まれながらそんなことを言われたら、お世辞だとしても嬉しくなってしまう。
「ありがとうイルーガくん。私もイルーガくんの優しいところ好きだよ」
「……嬉しいです。ありがとうございます」
「あっ! そうだ、折角来てくれたんだし、一緒に食べない? それとももうご飯食べちゃった?」
 はっと思い立って、そんな提案をしてみる。わざわざ持ってきてくれたのにご飯だけ受け取ってはいさようなら、というのはさすがに気が引けるし、ご飯は誰かと一緒に食べた方が美味しいし。いや、イルーガくんのご飯は一人で食べても美味しいけれど。
「……」
 彼はじっと無言でこちらを見つめてきたかと思うと、にこりと笑って「それじゃあ、お言葉に甘えて」と口にした。
「うん! ……ちょ、ちょっとだけ玄関で待っててもらってもいい? 大丈夫だとは思うんだけど、散らかってないか確認してくるから……!」
「わかりました」
 見られて困るようなものはなかったはずだけれど、一応確認はしておきたい。
 ざっと部屋を見渡して、大丈夫そうだと胸を撫で下ろした。こちらから誘っておいて『やっぱり部屋が散らかってるから駄目』なんていうのは恥ずかしすぎる。
「もういいよ! ごめんね、立たせたままで」
「いえ、気にしないでください。お邪魔しますね」
 料理を温め直したいという彼をキッチンに通す。手を洗って、お皿を用意しようと棚に足を向けたときにまた小さくお腹が鳴った。……今度は聞こえていないといいのだけれど。

 思った以上に沢山の料理がでてきてびっくりしたし、どれも美味しくてすごかった。子供みたいな感想しか出てこないのが悔やまれる。
「はあ……本当に美味しかった……ありがとうイルーガくん。今日駆けずり回ってたのなんてどうでもよくなっちゃった」
「ふふ、それならよかったです。食後のケーキもあるんですが、まだ食べられますか?」
「い、至れり尽くせり……! ……嬉しいしありがたいんだけど、私、イルーガくんにここまでしてもらうようなことしたっけ……?」
 こんなに沢山貰ってしまって、なんだか申し訳ない。彼に何かをした覚えもないし、と聞いてみれば、イルーガくんはゆるく首を振った。
「今日は、さんのお誕生日だとお聞きしたので……その、日頃の感謝を込めて、勝手に色々作ってきてしまいました」
「……ああ!」
 誕生日。そうだ、今日はそういえば私の誕生日だった。今の今まですっかり忘れていた。
「そういえば、まだ言っていませんでしたね。お誕生日、おめでとうございます」
「あ、ありがとう……! 自分でも忘れてたからびっくりしちゃった……ふふ、やっぱり一緒に食べてもらえてよかった」
 もし一人で質素な食事をしているときに思い出したら、今日一日中のあれこれも相まってだいぶダメージを受けていたかもしれない。イルーガくんが来てくれて本当によかった。感謝しかない。
 手渡されたケーキはやっぱりとても美味しくて、自然と頬がゆるんでしまう。
「んん……本当に、どれもこれも美味しくて最高……イルーガくんがお嫁さんになってくれたらなあ」
 なーんてね、と、またフォークを口に運ぶ私に、一瞬だけきょとんとしたイルーガくんが、「へえ」と口の端を持ち上げる。
「僕はどちらかと言うと、さんがお嫁さんになってくれた方が嬉しいですけど」
「……え?」
 思ってもみない答えが返ってきて、ケーキをつつく手が止まってしまった。彼はいつもと変わらず可愛らしく微笑んでいる。
「……あ、あはは、もう、イルーガくんもそういう冗談言うんだね。ちょっとびっくりしちゃった。……私が言うのも何だけど、他ではあんまり言わない方がいいんじゃないかなあ……」
 彼はもう少し自身の魅力を理解した方がいい。もしかしたら勘違いしてしまう人もいるかもしれないし、ちょっとこう、人を狂わせかねないというか。
「大丈夫ですよ。僕がこんなことを言うのも、『誕生日だから』と料理を作って訪ねるのも、さんだけですから」
「……えっ?」
 だ、『大丈夫』って、なに?
 頬杖をついてこちらを見つめているイルーガくんの様子はぱっと見普段通りだ。けれど、その柔らかくゆるんだ瞳から何かを訴えるような圧を感じる、ような気もする。
 今のはどういう意味なのかと聞いてしまいたいけれど、それもどうにも躊躇われてしまう。
 沈黙を誤魔化すように口にしたケーキの味は、もう分からなくなってしまった。





2026.04.07
サイト掲載 2026.09.05

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