肩を並べて歩きたい



 『メイクの仕方を教えてほしい』。そう突然に頼まれた望は目をぱちぱちと瞬かせた。
「……え、どうしたのいきなり? 今までメイクなんて興味なさげだったのに……っていうか頼む相手がおかしくない!?」
 気心の知れた仲とはいえ、わざわざ休日に二人で会いたいなどと言われたら大なり小なり胸が高鳴ってしまうのが年頃の男子というものだ。女子と二人でカフェという慣れない状況も相まってどこかそわそわしていた望だったが、先程の彼女の発言で浮ついた気持ちはどこかへ飛んでいってしまった。
 はぁ、と大きく溜め息をついて食べかけのケーキをつつく。何故男の自分が女の友人に化粧の仕方を教えなければならないのか。そう言ってやりたいのはやまやまであるが生憎目の前に座るは望が“男の娘”としてバンド活動を行っていることを知っているし、彼が自分でメイクを施していることも知っている。しかし、だからといって男である自分に頼む理由がいまいちわからず、不満げな声で問いかける。
「もっといるじゃん他に……女友達だっているでしょ? なんでオレなわけ?」
「なんで、って……それは、その……」
 もごもごと口籠るに望は不思議そうな目を向ける。あー、だとか、うー、だとかいう声を出しながらあっちこっち視線を彷徨わせていたが意を決したように望を見た。心なしかその頬は赤く染まっており、思わず望の胸もどきりと音を立てた。
「……だ、誰にも言わないでね? ……望くんなら……シェリーさんの、好みの感じとか、知ってるかなって、思って……」
「…………シェリー?」
 唐突に出てきたその名前に、彼はぽかんと口を開けた。停止しかけた望の脳がこれは一体どういう意味だと慌ただしく動き出す。
 シェリーとは、そう、自分たちのバンドでギターを担当しているあのシェリーだろう。それはわかる。しかしその次の言葉は何だ。シェリーの好みを知っているだろうから? 好み? いや、まあ、確かに彼女よりは嗜好だとか性格だとかは知っているとは思うけれど、それを自分に聞いてくる意味は――
 一瞬のうちに色々な考えがぐるぐると望の脳内をめぐる。そんな彼の様子を窺うように視線を向けてくるに、望はもしかして、と声をこぼした。
「ええと……好き、なの? シェリーのこと……」
 控えめに発せられたその言葉を聞いた彼女はあっという間にその顔を真っ赤にさせ、無言で頷いた。
「ま、マジかぁ……そっか……シェリーかぁ……うん、まぁ、確かに綺麗だしかっこいいし、わかる気もする……いや、オレは好きとかそういうあれじゃないけど……」
「そ、それで、その、私もメイクとか頑張って綺麗になりたいし、出来ればシェリーさんの好みっぽく……なれたらなって……」
 気恥ずかしさを紛らわそうとしているのか、はグラスの中身をストローでかき混ぜる。からからと音を立てる氷に目をやりながら、望は悩ましげに眉根を寄せた。衝撃こそ受けはしたが、友人の恋路を応援してやりたい気持ちはある。あるが、だ。具体的に手伝えることがあるかというと微妙なところだ、と望は小さく息を吐いた。
「手伝ってあげたいとは思うけど……多分、ミントとかユキホの方が力になれると思うよ? オレよりシェリーのことに詳しいだろうし、メイクも上手いし……」
「それもちょっとは思ったんだけど、やっぱりほら、望くんとはそれなりに付き合いも長いから一番話しやすいし……あと、こう、色々……ね?」
「色々ってなに、色々って……」
 そう言われてもなと彼は困ったように頭を掻く。しかし、どうしても駄目かとしょぼくれる彼女になんとなく罪悪感を覚え、最終的に「出来る範囲でなら」と彼女の頼みを聞き入れた。は望のその答えに表情を明るくさせる。
「ほ、本当!? ありがとう望くん!!」
 嬉しそうなに「でもあんまり期待はしないでよね」と告げるが、協力してくれると言ってもらえただけでも心強いと彼女は笑みを浮かべた。
 その後、とりあえず一度適当な化粧品売り場にでも行ってみるかという話になり、二人は会計を済ませて店の外へと出る。そういえば、今の格好で彼女に化粧品の種類やら何やらを説明するのは果たして周囲の目にどう映るのだろう。早くも選択肢を間違えたかもしれないと望は密かに溜め息をついた。はといえば、そんな望には気付かずに鼻歌でも歌いだしそうな調子で足を進めている。そんな彼らの後ろから、よく知った声が聞こえてきた。
「マイリーに?」
 望との足がぴたりと止まる。二人は揃って油の切れたロボットのような動きで振り返り、その声の主が彼らの思い浮かべた人物と相違ないことを確認した。引きつりそうになる口元をどうにかおさえ、望が口を開く。
「シェリー……なんでここに……」
「なんでって……私の家、この近くだし」
「そういえばそうだった……」
 忘れてた、と望むが額に手を当てて呟く。その様子に、これはもしかしたらあまり自分や知り合いに見られたくなかったのかもしれないとシェリーはばつの悪そうな表情を浮かべた。
「……もしかして、邪魔しちゃった?」
 それがどういった意味を含んでいるのかを瞬時に感じ取ったがぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「そんな、邪魔なんて、そんなことないですそういうのじゃないです絶対に!! 望くんには、ちょっと相談に乗ってもらってただけで……」
「相談?」
 顔を真っ赤にして早口で弁解する。シェリーは『そう必死になられるとかえって怪しいんだけど』と思わなくもなかったが、あまりからかうことはしないでおこうと彼女の言葉にあった単語を聞き返すことにした。その彼の発言で望が何かに気がついたような顔をしてシェリーを見る。
「あっ、そうだシェリー! 、メイクの仕方が知りたいらしくて……よかったら、教えてやってほしいんだけど」
「望くん!?」
 突然の提案にシェリーよりもが驚いた声をあげる。何を言い出すんだと言いたげな視線は直視せず受け流し、どうかな、とシェリーを窺う。見つめられた彼は不思議そうな表情を浮かべながらも軽く頷いた。
「メイク? 別にいいけど……マイリーが教えるんじゃダメなの?」
「お、オレは、その、ほら! まだ人に教えられるレベルじゃないっていうか! 自分のメイクが精一杯だし!」
「マイリーも大分上手になってると思うけど。ま、いいわ」
 ぱたぱたと手を振りながら言い訳のような言葉を並べる望に呆れを混ぜた声で笑う。じゃあ、とシェリーがの方に向き直り、当事者でありながら口を挟まず――挟めず、と言った方が正しいが――事の成り行きを見ていることしかできなかった彼女は咄嗟に出かかった声を押し殺した。
「どうする? 私は特に予定もないし、これからでも構わないよ」
「えっ!? え、あ、えっと、じゃあ、その、お、お願いします……」
「うん。じゃ、行こっか」
 言うが早いか、どこかへ向かって歩き出そうとするシェリーに思わず「へ?」と間の抜けた声をあげる。その声で何を疑問に思っているのかを察したらしい彼はその足を止めて再び彼女に視線をやった。
「さすがに外で始めるわけにもいかないでしょ。道具だって揃ってないし」
「あ、そ、そっか。ですよね。じゃあ、どこに――」
 なるほど、と頷くも、すぐにまた別の疑問が浮かび首を傾げる。道具、となるとやはりどこかお店へ行って色々見てみるとかだろうかと思案を巡らせるだが、発せられたシェリーの言葉は彼女の考えなど軽々と飛び越えていく。
「さっきも言ったけど、私の家、ここから近いの。トクベツに招待してあげる」
「……い、え…………家?」
 は単語の意味をうまく飲み込めずに反芻する。しかし、そうしたところで更に混乱を生むだけだった。「え、家? シェリーさんの? 家?? 家ってなに???」と小さく呟くの横で、望が先程よりも唐突かつ不自然に声をあげた。
「あ、あーっ! そういえばオレ、アヤに買い物頼まれてたんだったー! すぐに買って帰らないとなー!」
「望くん!?」
 今日は用事もないからどうのこうのってさっき言ってたじゃないと声にならない声と縋るような目で望を非難する。だが当の望はというと、これでうまいこと二人きりにしてあげられるという善意からの提案のつもりであるため、シェリーに見えないようにに向かって『ファイト!』とでも言うかのようにウインクを飛ばすだけだ。普通であれば年頃の男女が二人きりで家に、などという状況はよくないと言うところなのだろうし彼もその辺りの常識は心得ているはずだが、シェリーの見た目とバンドメンバーへの信頼、そして慣れない恋の相談という諸々の事項が重なり、この発言に至ったのである。
「じゃあシェリーごめん、後は頼んだ!」
 そう言い残して颯爽と走り去っていく望の背中を、とシェリーは呆然と見送る。
「ちょっとマイリー? ……まったく、忙しないんだから……」
 何なんだ、と言わんばかりの顔でシェリーがひとつ息を吐く。未だに何が起こっているのかを把握しきれていないは、向けられた視線に一先ず飛びかけていた意識を引き戻すことに成功した。
「それじゃあ、私たちも行きましょうか」
「あ、はい……!」
 なんとかそれだけを絞り出し、足を進めるシェリーの後についていく。望に怒ればいいのか感謝すればいいのかわからないこの状況で、の脳内は既に様々な感情が入り乱れてろくに思考もまとまらない。シェリーに何か話しかけられそれに自分も何かを返しているが、今交わしているはずのその会話の内容さえ頭に入っていない状態である。
 今からこんな様子で自分はこれから正気を保っていられるのだろうか。が今まともに認識できるのはそれだけだった。





2017.12.07



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