花見しようぜ、というレイの突発的な一言によって計画されたそれが実現したのは、四月も下旬に差し掛かった頃であった。
「いやー、なんつーか……」
 青々と茂る芝生を踏みしめ、遮るものもなくまっすぐに降り注いでくる日差しに目を細めながらレイがぐるりと広場を見渡す。太陽の光を受けて彼の髪もまた輝きながらその体を揺らしているが、レイの表情は若干の陰りを見せていた。
「散ってんなー……」
 期待はずれだと言わんばかりに肩を落とす彼に真琴が呆れた様子で軽く息を吐く。
「でしょうね」
「……もう五月と言っても過言ではないしな……」
「それに今年は開花も早かったからなあ」
 次々と発せられる言葉にレイは唇を尖らせるが、彼らの言っていることはどれも間違ってはいないためろくに反論することもできず言葉を詰まらせた。例年に比べ全国的に桜の開花が早いと言われていたのもあるが、そもそもこの話が出たのが世間で「今が見頃だ」「今週末が満開になるだろう」などと報じられていた頃であり、こうなるだろうとは思っていた、というのは全員――レイ以外の、だが――が薄々予想していたことであった。
「で、でも人も少ないし、ほら、はぐれたりする心配はないから……うん……」
 とりあえず、とシートを広げる他のメンバーを手伝いながら、拗ねたような表情を浮かべるレイを励ますようにがそう口にする。そんな彼女の言葉を受けたレイはひとつ深く息を吐き出すと、「よし!」という一言と共に膝をぱしんと叩いた。上体を起こした彼は表情を明るいものに変え、片手に提げた袋の中から缶を一本取り出した。
「まあうだうだ言ってても仕方ねーしな! 飲むか!」
「もう飲むんですか……?」
 レイの手の中にある缶ビールを見た真琴が眉をひそめる。
「ったりめーだろ花見だぞ! 花ほとんどねーけど!」
「……(最早花見というより昼間から酒を飲む体の良い言い訳になっている気がするが……まあ言わないでおこう……)」
 シートの上に座り早速プルタブに指をかけているレイを無言で眺めつつ、京が小さく頷いた。それに気が付いた真琴が「それはどういう意味での頷きなんですか」と怪訝な表情を浮かべたが、頭に疑問符を浮かべた京を見て諦めたようにふるりと首を振った。その様子に浮かべた疑問符を増やした京は一体何だったのだろうかと思いながらも、それ以上何も言ってこないということは大したことではなかったのだろうと脳内会議を終了させた。
「ま、桜はねぇけど折角色々用意したしな。飲食可のとこだし、騒ぎ過ぎなきゃ大丈夫だろ」
 シートの隅に荷物を置いた進がその中身を探りながらそう声を投げかける。「だよなー!」というレイの声が進の背中に飛んだ。
「その大丈夫なラインを超えそうな人がいるのが気がかりですけどね」
「おいおいそりゃ誰のことだよまこっちゃん」
「反応してくるってことはその自覚あるんですね」
 溜め息をついた真琴に、やれやれとでも言いたげな顔をしてレイがオーバーに肩を竦めてみせる。それに返された真琴の声にはややトゲが混じっており、反論の為に口を開こうとしたレイの額を進が軽く弾いて「ほらお前ら、すぐ言い合いすんなっての」と呆れた表情を浮かべた。彼の仲裁により大人しく引いていった二人に「よし」と頷き、進はペットボトルや缶を取り出しては並べていく。
「レイはビールとして……お前らは何飲む? 酒でも茶でもジュースでも、結構種類あるぞ。あとこれコップな。使うやつは適当に使ってくれ」
 シンプルな白い紙コップと黒のサインペンがシートの中央に置かれる。そこから一つコップを取った真琴がそれに目印としてサインを入れ、並べられたペットボトルに手を伸ばした。
「僕は烏龍茶を貰います」
「……では、オレも烏龍茶を」
 同じようにコップにサインを入れた京がそう言うと、真琴が「ああ、注ぎますよ」と軽くボトルを持ち上げてみせた。そうした彼らのやり取りを前にコップとサインペンを持ったまま動きを止めているを見て、進がどうしたんだと声を掛ける。彼女ははっとしたように進の方に顔を向けると、どこか照れたような表情を浮かべた。
「えっとね、なんていうか、みんなサインがかっこいいから私もどうせだから便乗? してみようと思ったんだけど、なかなかいい案が浮かばなくて」
 えへへ、と笑うに思わずふっと吹き出すように笑った進が「そんなこと考えてたのか」と肩を揺らす。そんなに笑わなくてもとが頬を膨らませるが、悪い悪いと軽く彼女の頭を撫でた進は「貸してみろ」という言葉と共に彼女の手からコップとペンを抜き取った。ふむ、と顎に手を当てて考え込んだかと思うと、すぐに何かを思いついたような顔でコップの側面にペンを走らせていく。きゅ、と小さな音を立てて止まったペン先を離し、満足そうに頷いた進がコップをに手渡した。
「これでどうだ?」
「? あっ、魚になってる!」
 そこにはローマ字で彼女の名と思しき文字と簡単な絵が刻まれており、そのデザインは得意げな表情を浮かべながらペンのキャップを閉めている彼のサインと似たようなデザインのものであった。見て見てと自慢げにそれを見せられたレイ達は「いや、すげーけど、進これよく今考えついたな……」「即興にしてはやたら完成度が高いですね……」「進の魚への思いが成せる技、なのだろうか……」という感嘆とも呆れともつかない反応を見せた。
 にこにこと嬉しそうにコップを見つめるが今思い出したというように「そうだ飲み物!」と並んだペットボトルに目を走らせる。
「えーっと……じゃあ、りんごジュースにしようかな」
 そう口にしてペットボトルに手を伸ばすが、それよりも先に進がボトルを持ち上げ、その蓋を開けた。「ほら」と口部を彼女に向けてコップを差し出すよう促す。「ありがとう」と注ぎやすいようコップを彼の方へ差し出すを見て、レイがつまらなさそうな声を上げた。
「なんだよお前ら、酒飲まねーのかよ?」
 こんなに色々あんのに、と言うように缶の詰まった袋をがさがさといわせるが、早く酒を飲みたいという気持ちが勝ったのかすぐに彼らの方に向き直った。
「まあその分オレが飲むからいいけどな! よっしゃーかんぱーい!!」
 前触れもなく突然放たれた「乾杯」の一言に、各々戸惑いつつも「乾杯」とコップと缶を軽くぶつけあわせた。真琴が「せめて最初くらいちゃんとしてくださいよ」と溜め息をついたのは言うまでもない。

***

「かーっ、やっぱ外で飲む酒は堪んねーな! テンション上がってきたぜ!!」
 数本目の缶ビールをぐいと呷り、レイがけらけらと笑う。最初はソフトドリンクを飲んでいた面々も次第にアルコールに手を付け始め、場の空気は既に普段の飲み会と然程変わらないものになっていた。
「レイさんはどこで飲んでもそんな感じでしょう……」
 空いている方の手で唐揚げを摘んでそのまま口に運ぶレイを見て真琴は苦い顔をした。そんな彼を全く気にした風もなく、缶を横に置いたレイが突然立ち上がる。
「よし! 一番、レイ・セファート……歌います!」
「やめてください」
 手を上げて高らかに宣言した彼を間髪入れず真琴が制する。だから言ったのだと言いたげな真琴は深く息を吐き、眉間に皺を寄せながら手に持った缶に口をつけた。彼らの様子を見守っていたが呆れ半ばといった表情で笑う。
「レイくん……ギター背負ってるなとは思ってたけど……」
「俺も何か持ってくりゃ良かったか?」
「進くん?」
 本気であると言われても不思議ではない声色で発せられた進の台詞に、は思わず目を丸くした。顔色は全く変わっていないが、実は彼もだいぶアルコールが回っているのだろうかとまじまじとその顔を見つめてしまう。何を考えているか手に取るように分かる彼女に堪らず笑った進は「冗談だ、冗談」と告げて手に持った缶を傾ける。胸をなでおろすの横で、京が静かに口を開いた。
「……レイが歌うなら、オレも合わせよう」
「京さん!?」
 冗談とも本気ともつかない彼のその言葉に真琴が絶望と言っても過言ではない表情を浮かべる。京としてはたまにはこういった冗談に乗ってみるのもいいかもしれないというくらいの軽い気持ちで口にした台詞だったのだが、京はその類のことは言わないであろうというある種の信頼を彼に寄せている真琴はこの状況で放たれたそれを冗談として受け止めることはできなかったのだろう。その様子に自分は選択を間違えたのだろうかと京が小さく首を傾げた。
「すまない、冗談のつもりだったんだが……」
「京さんいつもそんなこと言わないじゃないですか……本当に心臓に悪いのでやめてください……いえ、冗談を言うのは構わないんですがもう少し分かりやすくお願いします」
「ああ、気をつける。いつもノリが悪いと言われるからたまには、と思ったんだが……やはりオレはこういうことに向いていないな。しかし、分かりやすくというのは具体的にどうすれば良いのだろうか……レイのように軽い調子で言えば良いのだろうとは思うが、その軽い調子というのがオレには難しく思う。声のトーンを変えればいいのか……? いやしかし歌ならともかく普段喋る時にそういった器用なことはあまり……やはり難しいな……」
 心底安堵したといった風に深く息を吐き出す真琴に京も頷いた。そのままぶつぶつと呟き出す彼を真琴が「あの、京さん……? そんなに真面目に考えなくても……」と若干困惑したように見つめる。思考の渦に沈む京だったが、「京くん、こっちの数の子のやつ美味しいよ」とが肩を叩くことでそこから引き上げられた。本当だと舌鼓を打つ彼とそうだろうと笑う進たちを視界に収めながら、真琴は疲れた顔で酒を喉に流し込む。
「京ちゃんよりまこっちゃんのがノリわりーよなー! 折角京ちゃんとデュエットできると思ったのによー」
「その京さんは冗談だと言ってましたけどね」
 さり気なくチューニングを終えていたレイが軽く弦を弾きながら真琴にブーイングを飛ばす。真琴の顔には言い合いをする気力もないと書かれているようであり、視線を向けることもなく呟きにも近い声が返された。
 つまらないというような顔をしたレイが徐にギターを鳴らし、その旋律に歌声を乗せる。ゆるやかな空気にはあまりそぐわない激しい音色の曲が響き出し、いないわけではなかった他の広場利用者たちがちらほらと足を止めて音源を探すように辺りを見回す。路上ライブであればいざ知らず、今は完全にプライベートである。下手に人が集まってきてしまっても困るだろうと、レイを指差しこちらに向かっていると思われる人影を確認した進はやや大きめの声で彼を呼び、その演奏を止めさせた。
「弾き語りは構わねぇが、もうちょっと目立たないようにしとけ」
「何だよ折角盛り上がって来てたのに……仕方ねーなー」
「仕方ないじゃありませんよまったく……」
 進と同じことを危惧していたのか、素直に座ってギターを置いてまた酒を口にする彼に視線をやった真琴が勘弁してくれと言うようにこめかみを押さえる。
 そこで何かを思い出したのか、弁当に手を伸ばしていたレイがの方に顔を向けた。
「あ、そうだそうだ。」
「? どうしたの、レイくん」
 ちょいちょいと手招きをされ、が彼の傍に寄る。他のメンバーに背を向け耳をかせという動作をするレイに不思議そうな表情を浮かべつつ、彼女は彼の声に耳を傾けた。レイはどこか楽しそうな表情で口を開く。
「さっきトイレ行った時な、あっちの方でまだあんまり散ってない桜の木見つけたんだよ」
「えっ、ほんと!?」
「マジマジ。人も全然いなかったからいい感じだと思うぜ」
 レイの言葉にが瞳を輝かせ、その予想通りの食いつきに彼は笑みを深めて頷く。一方、は彼が口にした『いい感じ』の意味を測りかねて首をひねった。景色的な意味で言ったにしては文脈が少し変な気がするが、そういう意味で合っているのだろうか。彼女がそんなことを考えているのはお見通しだというように、にやりと口の端を持ち上げたレイが声を潜ませて続ける。
「進と二人で見てこいよ」
「え、れ、レイくん?」
 ぱちりと綺麗なウインクを飛ばし、「こういうイベントは大事だろ」という台詞と共に彼女の肩を軽く叩いた彼は、背を向けていた進の方へと向き直った。
「っつーわけで……進! さっきあっちの方に桜残ってんの見つけたんだけどよー、が見たいっつーから連れてってやってくれよ!」
 の「ちょっと待って」「心の準備が」などという必死の声は聞こえないふりをして、輝くような笑顔を浮かべたレイが進にそう言葉を投げかける。慣れているのか、進は突然のそんな台詞にも特段驚いた様子を見せず缶から口を離して軽く頷いた。
「ん? 別に構わねぇけど……それならレイが連れてった方が良いんじゃねぇか? レイは場所知ってるんだろ?」
「いやー、だいぶ酒が回ったみたいであんまり歩きたくねーんだよなー。頼むぜ進、こう、トイレの横に細めの道があんだけど、そこ歩いてけば多分わかっから!」
「随分とアバウトだな……、ちょっと歩くかもしれねぇが、それでもいいか?」
「えっ、あ、その……」
 へらりと笑ったレイが道順を説明するとその曖昧さに流石の進も片眉を上げたが、仕方ないかと軽く息を吐き出し、に顔を向ける。進にそう問われた彼女は困ったような顔をしてレイと進の間で幾度か視線を行き来させたが、ここで断っても変に思われるかもしれないと諦めて頷いた。
「う、うん。大丈夫だよ」
 彼女の返事を確認した進は笑みを浮かべて頷くと、その様子を静観していた他の二人の方にも声を掛ける。レイの表情が『これだからこいつは』という声が聞こえてくるようなものへと変わるが、それに気が付いた者はいなかった。
「京と真琴はどうする?」
「……遠慮しておきます。レイさんを一人にしておいたら何をし始めるかわからないので」
 レイの思惑を読み取った真琴はそれらしい理由を口にして首を振る。その声に滲んだ呆れは進とレイどちらへのものであったのかは定かではない。真琴が視線を感じてレイの方を見やれば、何とも言えない顔をした彼が自分を見つめていることに気付いた。大方、誘いを断ったまでは良いが後半のはどういう意味だ、というようなことを言いたいのだろう。これは後からぐちぐち言われるパターンだと彼は訪れる未来を想像しその面倒臭さに溜め息をついた。
「オレは――」
 一方の京は、桜が見られるのなら見たいと口を開く。しかし、それを言葉にする直前でまばたきもせずに自分のことをじっと見つめてくるレイと、何か言いたげな顔をして小さく首を横に振っている真琴に気が付き、喉まで出かかっていた声を飲み込んだ。
「いや、オレも待っていることにする」
 そう言った瞬間の二人の表情に、どうやらこれで間違っていなかったらしいと京は内心胸を撫で下ろした。
「そうか? んじゃ行くか、」
「う、うん」
 立ち上がり靴を履いた進が、同じように立ち上がって少しよろけたの手を取り支える。靴を履いて脚を曲げ伸ばしする彼女の頭をぽんぽんと撫でて「転ぶなよ」と言ってやると「はぁい」と素直な言葉に不満の色を混ぜたような返事が返ってきて、進は零れそうになった笑い声を押し殺した。
「行って来い行って来い! 健闘を祈る!」
 ひらひらと手を振り、レイが二人の後ろ姿を見送る。一言多いとが目で訴えるが彼は勢いよく親指を立てるだけで、これは何も通じていないなと彼女はひっそり肩を落とした。レイの動作に不思議そうな顔をしつつ、軽く手を上げて応えた進は「レイ、二人に迷惑かけんなよ」と口角を上げた。
「オレは子供かよ!」
 不満そうな声を上げたレイは眉を顰めて早く行けと言うように手で追い払うような動作をする。二人の背中が見えなくなったのを確認してから、真琴がひとつ息を吐いた。
「最初からこれを狙っていたんですか?」
「んー、そういうわけじゃねーんだけどさ。あいつらほんっともどかしいっつーか……こういうとこでちょっとずつ縮めてかねーとだろ? なんかねーかなと思ってこっそり探してたら丁度いい感じの場所見つけちまったってワケよ。いやー、オレやっぱ持ってるな!」
 軽快な笑い声を上げて酒を呷るレイを見て、京が小さく首を傾げる。
「……すまない、オレはどうにもそういうことに疎いのだが……やはり、あの二人は、なんというか、付き合っている、のか?」
「え、京ちゃん、そっから? マジで? いやまあ、そんなこったろうとは思ってたけど……さすがっつーかなんつーか……」
 思わぬ発言にレイが目をぱちぱちと瞬かせる。缶を傾けすぎて口の端を垂れていった酒を雑に手の甲で拭い、彼は京の肩に腕を回した。その力の強さに京の口から小さな呻き声が洩れたがそんなことを気にもせずにレイは口を開く。
「よし、どうせあいつら暫く戻ってこねーだろうし、いかにオレが苦労してるかを京ちゃんにも聞かせてやるぜ」
「それ勝手に言ってしまっていいんですか? まあ大体内容の想像はつきますけど……」
 そうして藪をつついてしまった京の為のレイによる進とについての話が始まり、その二人の様子を何とも言えない表情で眺める真琴という傍から見れば不思議な光景が出来上がった。京には悪いが絡まれるのが自分ではなくて良かったと思いつつ、もし困った顔をしだしたら助け舟を出そうと真琴は黙って置いてあった缶を手に取る。
 話題の中心になっている二人が戻ってくるのはいつなのか、それまでこの状態が続くのか、それは神のみぞ知るところである。

***

 砂利の敷き詰められた道を進とはゆったりとした速度で歩く。辺りを見回しながら歩く進を見上げ、が眉尻を下げながら口を開いた。
「進くん、なんかごめんね」
 提案したのがレイとはいえ彼一人だけを連れ出す形になってしまったことに申し訳無さを覚えた彼女がそう言えば、進は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、そんなことかと一笑した。
「気にすんなよ。一応花見に来たんだし、桜があるなら見ていきたいだろ? お前、桜好きだもんな」
 ぽんぽんと頭を撫でながら言われ、はほっとしたような照れたような表情で笑う。
「……ありがとう、進くん」
「おう。――っと、細い道、って……もしかしてこれか?」
 続いていた植え込みが途切れているのを発見し、進が足を止める。そこは舗装されてこそいないが道と言われれば道のようにも見え、地面には人の足跡のようなものも微かに残っていた。二人が並べる程の道幅はなく、背の高い草や木が両脇を固めているためか他の場所に比べて薄暗くなっている。
 進の後ろから顔を覗かせたも目を丸くしてその道の奥の様子を窺う。
「だいぶ細いね……道っていうか、植え込みの隙間っていうか……」
「通れないってこたぁないが、レイのやつ、よくここに入ってこうと思ったな……」
 レイが二人の為に密かに探索していたということを知らない進は、あいつは一体何をしているんだと言わんばかりに呆れ混じりの息を吐く。小道の入り口に立って木の高さや先の様子を確かめ、「とりあえず行ってみっか」と進が足を踏み出す。頷いてその後ろに続くが「進くん、大丈夫そう?」と彼の背中に問いかける。
「ああ、これくらいなら多分大丈夫だ。も、服とか引っ掛けねぇように気をつけろよ」
 振り向いてそう答えた進がに手を差し出した。足場は極端に悪いわけではないが、落ち葉や小枝も少なくないため足を滑らせないようにという気遣いだろう。気にかけてくれているのは嬉しいが本当にすぐ転ぶと思われているのだなと微妙に複雑な心境になりながらも、は彼の声に頷いて自分の手を重ねた。
 そうして歩くこと数分、先を歩いていた進の目に明るく照らされた地面が映る。
「ん、そろそろ広いとこ出そうだな」
「ほんと?」
 彼の言葉にの表情が輝く。どんな顔をしているのかを確かめなくとも鮮明に伝わってくるような声色に、進はひっそりと口元をゆるませた。
「ああ。ほら、陽が差して――へぇ、こいつはなかなか……」
「わあ……! すごい、こんなに残ってるなんて思わなかった!」
 開けた場所に出た二人は、そこに広がる光景に感嘆の声をこぼした。
 先程まで彼らがいた広場もそうだが、既に街中の桜はほぼ葉のみを残しているものばかりである。しかし、今二人の目の前にある桜の樹はまだ枝の半分以上が淡い桃色で彩られており、眩しくない程度に遮られた光の中で時折花弁を舞い踊らせていた。
「今年はゆっくり見る暇もなかったしもう諦めてたけど……こんなことってあるんだね」
 嬉しそうに口にしたがもっと近くで見ようと足を踏み出すのに合わせて進もその隣を歩く。広がる枝の真下に立ち、二人は桃色の空を眺める。綺麗、と意図せず手に力がこもったところで、はた、と彼女は繋がれたままの右手に気が付いた。途端、鼓動がほんの少しだけ早くなる。二人きりで手を繋いで桜を見ている、なんて、なかなかロマンチックなシチュエーションではなかろうか。こっそりと進の顔を盗み見れば、差し込む光と舞い散る花弁による相乗効果か楽しげな表情が一層眩しく感じられ、の心臓は更に激しく動き出した。その顔からぱっと目を逸らし、深く吸った息を桜に感動して溜め息をついたという風を装って吐き出す。
 そんな彼女の様子に、進は楽しそうでよかったとまた笑みをこぼす。彼女を見下ろすとその髪に花弁がついているのを見つけ、取ってやろうと手を伸ばした。
「っ!?」
「うおっ!? 悪い、驚かせたか?」
 大げさな程にの肩が揺れ、進は髪に触れた手を思わず引っ込める。自分でも驚きすぎたと思ったのか、は照れたような笑顔を浮かべた。
「あ、ご、ごめんね。びっくりしちゃった」
「いや、俺も一声かけりゃよかったな。髪に花びらが付いてたからよ」
「花びら?」
 ふるふると頭を軽く振るに笑いながら「取ってやるから」と再び進が手を伸ばす。今度は何の問題もなくその指が薄桃色の花弁を摘み上げた。取れたぞと見せられたそれに本当だと笑ったが、何かに気がついたように「あっ」と声を上げた。
「進くん、ちょっと屈んで」
「ん? どうした?」
 不思議そうな顔をしながらも、彼女に言われた通りに進がその背を屈める。低くなった彼の頭に手を伸ばしたは、つい先程進の髪の上に落ちてきた花弁をそっと指で持ち上げる。「もういいよ」と告げられ背を伸ばした進は彼女の手にあるものを見てなるほどなと笑った。
「ふふ、なんかおそろいみたい」
 そう言って愛おしげに細められた瞳に、進は何か言いようのない心臓がざわつくような感覚を覚える。だがそれも一瞬で、今のは何だったのかと考えつつ、「そうだな」と摘んだ花弁をにこにこしながら眺めているの髪をやわらかくかき混ぜた。
「ねえ進くん、こっちでお花見の続き? ってできないかな! シートとか全部移して――あ、でも結構荷物あったし、つっかえちゃうかな……」
「お、いいな。どうせだし、京と真琴にも見せてやりてぇよな。荷物は……まあ多分大丈夫だろ。最初よりかは減ってるはずだしな」
 いいことを思いついたと言うように楽しげな声を上げるに賛同するように進も頷く。来たときはそれなりに多かった荷物も空いた缶や容器を潰せば体積を減らせるだろう。彼の返答に笑みを深めたは「じゃあ早く呼びにいこ!」と進の手を引いて歩き出す。
「わかったから走んなって。危ねぇぞ」
 呆れたように笑いながら進がその後に続いた。
 手を繋ぎながら戻ってきた二人を見て、残っていた三人がそわそわと何かを期待するような視線を交わし合う。しかしそれもの「みんなもあっちでお花見しよう!」という呼びかけで落胆したような残念そうな何とも言えないものに変わる。
「あいつらはほんとこれだから……オレの気遣い……」
「……まあ、無駄ではなかったんじゃないですか。二人共楽しそうですし……」
「そうだな。オレにはそういったことはあまりよく分からないがやはり何事においても些細なことの積み重ねというものは大切なのではと、っ」
「はい京ちゃんお口チャックな。聞こえっからな」
 近づいてくる二人の耳に京の声が届かないよう咄嗟にレイが彼の口を手で塞ぐ。その光景に進とは何をしているんだと首を傾げるが、レイは「いやー京ちゃんが突然歌いだそうとするもんだから」と大げさに笑ってみせた。その誤魔化し方に不満げな視線を飛ばす京を真琴がさり気なく宥め、移動するなら色々と片付けなければならないだろうと空き缶やペットボトルを纏め始める。
「レイくん、桜すごかったよ! 教えてくれてありがとう!」
「そーかそーか。オレはもうちょっと別の報告を期待してたんだけどな」
「ちょっと私には何のことだか」
 あからさまに目を逸らしたにレイは大きな溜め息をつく。そろそろ一歩踏み出してほしいと切に思いながらの頭をぐしゃぐしゃと乱雑に撫でれば抗議の声が下から飛んでくる。わりーわりーと全くそう思っていないような声で謝りながら、レイはどうすれば二人の関係を進展させられるのかについてをぐるぐると頭の中で考えていた。





2018.06.07