様々な声がひしめく居酒屋。その一室で、また一つ高らかな声があがった。
「チキチキ! レイのお悩み相談コーナー!!」
 ジョッキを掲げながら唐突に叫び出したレイを、進はからからと笑いながら、真琴と京は不思議そうな顔で見やる。
「レイ飛ばしてんなー」
「何ですか、藪から棒に。……レイさんの突飛な発言はいつものことでしたね」
 軽く息を吐きグラスを傾ける真琴の肩に手を回し、レイはぐいと顔を近付けた。煩わしさからか、微かに真琴の眉間が寄る。衝撃でほんの少しテーブルの上に酒がこぼれたが、誰の目にも留まることはなかった。
「んなこと言うなよまこっちゃ〜ん! こーゆーのを話し合うことで絆を深めていこうって話じゃねーか〜」
「……レイの言うことも一理ある。酒の勢いでというと聞こえは悪いかもしれないが、普段話したいと思っていても話せないということがあるのなら、こういう席で話してしまうのもオレはありなのではと思う。オレも普段あまり話せないタイプであるし、こういった雰囲気で話を聞いてもらえるのは、正直助かっているところもある。それに、オレはもっとオシリスのメンバーの色々な話を聞きたい」
 普段よりも幾分饒舌になった京がレイの言葉に小さく頷き、口を開いた。それを受けてレイが「ほら京ちゃんもこう言ってるしよ〜」と真琴の頬をつつくが、その手はぴしゃりとはたき落とされた。大げさに痛がる素振りをするレイにじとりとした視線を送り、またひとつ息を吐く。
「京さんの言っていることは、まあ、わからなくもないですけど……」
「まあ、真琴はなんつーか、悩みとかあっても自分で何とかしちまいそうなとこはあるよなあ」
 空になったグラスや食器を扉の近くに避けながら進が笑う。そのまま近くにいた店員に声をかけ追加の酒を注文する進の背中にレイが「あっ! 進オレあれ飲みてーあれ! あの、なんだっけ、酒じゃなくて、なんか甘いやつ!」と声を投げる。そんなレイを見て真琴は呆れとも諦めともつかないような表情を浮かべた。
「しかし、手伝ったり力になったりとまではいかなくとも、話を聞くくらいならオレたちにもできる。それに、多分ではあるが、些細なことでもそうして誰かに話をすることで気が楽になる、ということもある……と……思う……?」
「うーん京ちゃん、そこは言い切ってほしかったなー!」
 けらけらと笑いそのままジョッキの中身をあおろうとするが、空であることに気付くと軽く唇をとがらせた。
「はあ……そうですね、強いて言うならレイさんがメジャーメジャーとうるさ――」
「それはナシ! っつか無理!! はい次!!!」
「分かってましたけど悩み相談というなら少し考えるくらいはしてくださいよ」
 食い気味で返された言葉に苦い顔をし、再びグラスに口をつける。レイはというと、「いやーだって無理だしなー」と新たに運ばれてきたドリンクを進から受け取り、流れるような動作で口に運んだ。
「おっ!? これだこれ! さんきゅー進!」
「ああ、多分それじゃねえかと思ったんだ。当たってたなら良かったぜ」
 にこにこと満面の笑みを浮かべ、あっという間に空になったグラスをテーブルに置いて真琴に向き直る。真琴はまだ続けるのかと目で訴えるが、レイは分かっているのかいないのか「ほら次!」と真琴を急かす。助けを求めるようにちらりと進と京に目をやるも、二人は何やら目の前にある料理の話をしているし、京に至ってはたまにレイと似たような視線を向けてきているような気さえして、また深く息を吐いた。
「そんなことを言われても、本当に悩みなんて――」
 そこでふと言葉を切り口元に手をやった真琴を見てレイが目を輝かせる。
「お? その顔は何か心当たりがありそうじゃん! いいぜまこっちゃん! 来いよ!!」
 さあさあと身を乗り出してくるレイを軽く手を振ることで追いやるが、レイもなかなか引き下がらずに真琴の肩を揺さぶる。
「なーまこっちゃーん、いいじゃんちょっと話してみよーぜ〜! 吐いちまえよほらほら〜」
「うるさいですよ。ちょっと、揺らさないでくださいこぼれっ……ちょっと進さん! なんとかしてくださいよこの人!」
「悪い、そうなったレイを止めるのはマグロの一本釣りと同じくらい大変でな……」
「例えが分かり難いんですよ!!」
 語気を荒げ、その勢いでグラスに残っている酒を飲み干す。だん、と半ば叩きつけるようにグラスを置き、追加の注文をすべく呼び出しボタンを押した。
「よしよし、もっと飲んでゲロっちまえ! あ、マジのゲロじゃなくてな!」
「本当にうるさい人ですね……飲んだところで話す悩みなんてありませんから」
 メニューにざっと目を通し、程なくしてやってきた店員に追加の酒と料理を頼む。既に京の目は閉じかかっていたが、レイと真琴はいつになくハイペースでグラスを空けていくのであった。

***

「っはぁあ〜〜〜……ふっつーに飲みすぎた……こりゃ明日二日酔い確定だぜ……」
「…………」
 数十分後、テーブルに突っ伏している京の横にレイが同じような格好で並んでいた。真琴は酔いつぶれるとまではいかないものの、普段より大分とろりとした瞳でグラスを揺らし、からりと音を立てる氷を見つめている。その様子を眺めていた進が、手にしていたお猪口を置き頬杖をつく。
「……なあ、真琴」
「……? なんですか」
「いや、あー、なんだ……レイじゃねぇけどよ、本当は何か悩みみてえなのあるんだろ? 今のうちに軽く吐き出しとくのもいいんじゃねぇか?」
 若干据わった目で見てくる真琴にどう切り出したものかと視線を彷徨わせたあと、窺うようにそう告げる。まさか進からもそんなことを言われるとは思っておらず、思わずきょとりと目を瞬かせた。しかし、少し考えるような素振りをし、すぐに首を横に振る。
「いえ。本当にそんな大したことではありませんし……心配には及びませんよ」
 そう言って目を伏せる真琴に「そうか」と返し、新たに徳利から酒を注ぐ。
「まあ、無理にとは言わねぇけどよ。今なら聞いたとしてもこいつらは覚えちゃいねえだろうし、俺だって明日には忘れてるかもしれねぇしさ」
「…………」
 に、と笑ってお猪口を持ち上げ、口に運ぶ。本当に自分から深く突っ込む気はないらしく、まだ皿に残っている料理に箸を伸ばしては「これ家で作れねえかな」などと漏らしている。そんな彼の様子に口を開きかけ、しかし何も発することなくそのまま閉じる。
 何回か同じような動作を繰り返していた真琴だったが、意を決したようにグラスに残っていた酒を一気にあおった。気持ちを落ち着かせるように深く息を吐き、そこに乗せるようにしてぽつりと言葉が発された。
「……その、どうでもいいといえば、どうでもいいんですけど」
 そう前置きをする真琴を促すように、進が視線を向ける。
「何と言いますか、あー…………さんに、嫌われているのでは、と、最近思っていて、ですね……」
「ん?」
 ついに明かされた真琴の胸中であったが、黙って聞いてやろうと考えていたはずだった進がその内容に思わず声を漏らした。
「……ん? ……いや、真琴? ……んん? なんでそう思うんだ?」
 予想外の言葉に困惑する進が、隠しきれないその色を瞳に浮かべる。
 進やレイの友人であり、何かと二人のことを気にかけてくれているがOSIRISのメンバーと交流するのは当然の流れであった。バンドを結成してからこれまでに練習やライブ、はたまたその打ち上げに彼女がいたことも数知れず。全員と友好的な関係を築いていると進は思っていたし、実際彼女が真琴を嫌っているなどということはないのだが、何故そのような考えに至ったのかと口にせずにはいられなかった。
「なんでと言われても……彼女、皆さんへの対応と僕への対応、違うじゃないですか。距離感尋常じゃないですよ」
 拗ねているともとれるような声音で紡がれた言葉に、目を丸くする。彼女の対応に違いなんてあったかと進が脳の正常に働いている部分を総動員させ、そういえばとその『違い』を見つけ出した。
 彼女はレイや京と同年代であり、真琴は年上である。昔からの友人である自分やレイ、同年代の京と話すとき、彼女はわりとフランク――名前は「くん」付け、タメ口――だ。一方、年上である真琴に対しては名前は「さん」付け、かつ、基本的に敬語だった。それが彼女の癖のようなものであると進は知っていたし、はたから見ても好意的な部類に入る接し方をしていると思っていたため、全く気にしていなかった。よもやそれが真琴の心に引っかかっていようとは……。
 進はどういう顔をすればいいのか分からず、必要以上に深刻そうな表情を浮かべて口を開いた。
「真琴……お前もそういうの気にするんだな」
「ちょっとそれどういう意味です?」
 む、と僅かに眉根を寄せる真琴に慌てて「あー、いや、悪い意味じゃなくて」と手を振り否定する。
「真琴はそういうのあんま気にしねえっつーか、むしろ馴れ馴れしいよりは良いんじゃねぇかと思ってたから、驚いちまってよ。悪いな」
「確かに、初対面で突然馴れ馴れしくされたりだとかは好みませんけど……」
 ゆるく笑ってみせた進にそう呟き、ふいと目を逸らした。もう中身の残っていないグラスを特に意味もなく手の中で転がし、ぼそりと声を落とす。
「……気になってしまったんだから、仕方がないじゃありませんか」
 それがあまり聞く事の出来ないようなトーンであったため、進は頬がゆるむのを感じていた。それを確認した真琴が軽く睨むような視線を送ってくるが、表情を引き締めることが出来ずにそのまま笑ってみせる。
「確かに、言われてみりゃあ知り合って結構経つしな。でも俺から見りゃあ嫌われてるなんてことはないと思うぜ?」
「…………進さんがそういうのなら、まあ、そうなんですかね。……はあ、無駄な心労だったというわけですか。あの、進さん」
「ん? ああ、言われなくても――」
「なんだよなんだよまこっちゃんオレがダウンしてる間によー! 水くせーじゃねーか!!」
 突然起き上がったかと思うと大声で騒ぎながらにじり寄ってくるレイに、真琴は本日何度目か分からない盛大な溜め息を吐いた。絶対にこういう騒ぎ方をすると思っていたから彼には話したくなかったのだと顔を顰める。というかどこから聞いていたんだこの人は。
 どうせ明日になればこのことはぼんやりとしか覚えていないのだろうが、はっきり言ってこのテンションは相当鬱陶しい。抵抗むなしく無理矢理肩を組まれ、真琴は煩わしさを隠すこともなく口を開く。
「今まで寝てた人のテンションじゃないでしょう、それ」
「いやいや、ぐっすり快眠すっきり起床ってな! ったくよー、そんなことならまこっちゃんオレに任せてくれりゃーよかったのによ」
 言いながらおもむろにスマホをいじりだしたレイに真琴は訝しげな視線を向けるが、それを耳に当てる動作で何をしているのか大体察し、目にも留まらぬ速さで奪い取った。発信中の表示を確認するが早いかそれをキャンセルすべく画面を連打する。
「馬鹿ですか!? というか今何時だと思ってるんですか非常識ですよ!!」
「っつってもまだ日付も変わってねーじゃん。いけるいける。あいつなら絶対まだ起きてるし」
「そういう問題ではないんですよ!!」
 鬼のような形相で詰め寄る真琴に臆することもなく、レイは至極楽しそうに笑みを浮かべる。
「へっへっへ、まこっちゃんもカワイイとこあるじゃねーの? いいじゃん、これを機に呼び方とか変えてもらおうぜ」
「余計なお世話です!!」
 スマホを奪い返そうとするレイと意地でも死守しようとする真琴に「お前ら騒いで物壊したりすんなよー」と軽く声をかけ、進は残り少なくなった酒と料理を口に運ぶ。二人が言い合う声で目を覚ました京は全く状況を把握出来ずに困惑していたが、進が追加で注文したらしいお茶漬けを手渡してきたため特に深く考えることもせずそれを食すことにした。
「あっ! ちょいまち、オレもそれ食う!」
 レイがお茶漬けに釣られたことでひとまずその場は収まり、鬱陶しくてかなわないといった様子の真琴は熱を逃がすように軽く手で顔を扇ぐ。苦々しく歪めた顔をそのままに、面倒くさそうにレイのスマホを進に手渡した。
「進さん、これ持っててもらえますか。返すといつまたさっきみたいなことするかわからないので」
「おう、任せとけ」
 真琴の懸念とは裏腹にその後話が再び持ち上がることもなく、穏やかに飲み会はお開きとなった。
 帰路についた真琴は何故あんなことを話してしまったのかと頭を抱えたが、最近引っかかっていたことについては進曰く何も心配することはないらしいので良しとしておこうと思考を切り替える。帰宅したらシャワーを浴びてさっさと寝てしまおう。コンビニで購入したコーヒーを一口飲みながらそう考え、真琴は足を早めた。


 ――後日、突然に「え、えーと、真琴、くん……?」と呼ばれ思わず手にしていたベースを落としそうになるという事件が起こるのだが、これはまた別の話である。





2017.11.08